格差社会と心理学

k1s2013-04-13

< 初めに >
 仏教から出た言葉に、「四苦八苦」という言葉があります。仏教では、「人生は基本的に苦に満ちている」と捉えます。古来より、如何にして苦しみは生まれ、如何にして滅していくかを人々は考え、苦の解決法を求め続けてきました。その一つの成果が、近代の心理学です。
 現代社会は、グローバル社会、格差社会と言われています。そこにもやはり苦しみがあります。その苦しみに対して、心理学はどういう働きができるのか、共に考えてみましょう。
 
< 格差社会について >
 「格差」とは、<同類のものの間における、程度の差や違い>(ウィキペディア)のことをいいます。経済格差、健康格差、情報格差、満足度格差、能力格差など、どういったことを比較の対象にするかで、実に様々な格差が観察されます。そして「格差社会」とは、<ある基準をもって人間社会の構成員を階層化した際に、階層間格差が大きく、階層間の遷移が不能もしくは困難である状態が存在する社会>(ウィキペディア)のことをいいます。
 
 「格差」は、人間の認識作用の始まりや、人間社会が形成された最初から存在したと思います。この格差の認識こそが、社会変化の原動力であったように思います。格差の変化を予測し、制御し、ますます広がったり、あるいは縮まったりしながら、認識や社会は変化してきたことでしょう。
 
<グローバル社会 格差社会 分業社会 富の分配 搾取 商品 通貨制度 贋金 利子 >
私達現代人は、気軽に使い捨てする爪楊枝一本、テッシュペーパー一枚、たった一人で自給することはできません。赤ちゃんは、大人に頼らないと生きていけません。富あるいは生活に必要なものを共同で採集し、あるいは収穫し、生産し、それを分配するということは、古くから続いてきた人間の暮らしでしょう。どの程度の規模で協働社会を形成するか、生活必需品を分配するか、社会同士で交換するかは、歴史と共に変化してきました。
余剰物が生まれることによって、交換が始まったことでしょう。最初は物々交換をしたことでしょう。
物々交換の長い長い体験の中で、私達は、みんなが欲しがるモノ、保存が割ときくモノ、分割しやすいモノ、持ち運びやすいモノを「通貨」にしました。「通貨」は、一旦認められると、交換をスムーズにさせる<とても便利な道具>で、経済の発展、生産の向上、社会構造の変化をもたらしました。
通貨が人々の間で、当たり前のモノとなると、次に通貨は「富の蓄積の手段」「人生の目的そのもの」と変化しました。
「流通のための便利な道具であった通貨」が、通貨制度を管理できる(権力を持った)ものには、「富を生みだす便利な道具」となりました。この変化はとても大きな変化です。私達一般庶民が、新たに通貨をつくれば、それはとても労力がかかることですし、場合によっては、「贋金づくり」として、法で罰せられます。(地域通貨や、小さな偽札事件、豊田商事事件を参照してみてください。)
ところが、歴史を振り返ってみると、通貨を管理できる権力を持った者達こそ、これまで贋金をつくって富を蓄積してきたのです。そして、今も行っています。そして格差が拡大しています。しかし、法で罰せられることはありません。
贋金をつくるひとつの方法は、混ぜ物をする事でした。「悪貨は良貨を駆逐する」と歴史の時間によく聞きました。
贋金をつくるもう一つの方法は、「信用創造」です。信用創造と言っても、金融に興味のある人以外には馴染のないコトバではないかと思います。庶民的な感覚からいえば、今手元に100万円持っているとして、友人や親戚がそのお金を貸してほしいと言ってきたとき、最大100万円まで貸せると思うでしょう。ところが銀行の場合、いくらぐらい貸すことができると思いますか? もし、預金準備率が10%と決められていたなら、1000万円まで貸すことができるし、1%なら100万円手元にあれば、1億円まで貸すことができ、その利子で儲けることができます。
社会全体の通貨の量を、わざと足りなくすれば、私達は金融機関に頼らざるを得ません。
ところで、個人や中小企業にお金を貸せば、個人が亡くなったり、倒産したりして、貸したお金を回収できなくなる恐れがあります。そこで、金融機関が安心してお金を貸し出す対象として、自治体や国家、独立行政法人などがあります。
あなたはいま、別に何処にも借金をしていなくて、利子も払ってなくて、取り立てにもあっていないかもしれません。しかし、あなたは常に「利子」を払っています。一つには、商品の価格の中に、利用料金の中に既に利子分が含まれています。あなたの税金は、あなたの住む自治体の利子払いに使われています。国債に使われています。そもそも国債は、その国の国民の税金が担保になっています。

「生かさず殺さず」という言葉があります。人はどんなに権力を持っていても、一人では生きていけないので、搾取する対象を殺してしまっては、搾取できません。生産された富の全体から、搾取する対象が生活を維持できる分だけを残して、生産性を向上させ、後を自分の分にすればいい訳です。
 しかし、搾取するにも、その仕事をする人々が必要になります。権力者一人がその仕事をするわけにもいきません。戸籍調査や管理や、徴税人が必要となります。歴史を振り返ると、中間で搾取する人々が、力をつけ新たに権力者になるといったことがありました。(摂政・関白・征夷大将軍・執権・守護・地頭・御家人・代官・名主など)搾取する権力者が、同じく搾取する権力者と戦い、負けた後も、中間で管理するものとして残るという場合もあります。
 
 要は何を言いたいかというと、格差社会構造は、長い歴史をかけて作られてきたということです。その構造を一朝一夕で変えることは難しいでしょう。また、立っている位置で、モノゴトの見方も変わることでしょう。
 明治維新後、日本は海外列強の名目上植民地とはなりませんでしたが、その後の歩み(地租改正など)について、旧領主、上級武士、下級武士、豪農、貧農それぞれの見方が成り立つことでしょう。
 
 心理学にしても、あるモノゴトに対して、一つのモノの見方をするわけではありません。精神分析学と行動分析学では、同じ出来事に対して、全然違うものの見方をします。同じフロイト派であっても、自我心理学、対象関係論、自己心理学では意見の相違があります。

 つまり、心理学の中においても「格差」がみられるということです。また格差について、心理学は我々人間が格差をどのように認識するか、格差社会の形成と私達の心理との関わりの仮説を述べますが、格差そのものの是非は語りえません。ただ、格差をなくすために努力すればいいとその努力を支持する視点もあれば、その努力がはたして有効であるかどうかと点検する視点もあるということです。その辺を見極めて、自分にあった心理学を選択するのが賢明なのでしょう。