地図の地図を描く

k1s2013-04-10

禅宗の言葉に
「塵を払って仏を見れば、仏もまた塵」というのがあるようです。
  
僕たちは、確かに大地の上に立っていて、大地の恵みの食べ物を食べて、生かせてもらっています。大地や食べ物は「地図」ではなく、「現地」「現物」でしょう。
しかし、私は今どこにいるのだろう、何を食べたのだろうと認識しようとすれば、たちまちそれは「地図」になります。
 「実際に那智勝浦町にいるではないですか」という人がいるかもしれませんが、ここが那智勝浦町であることは、地理上の約束事でしかありません。禅宗の道場ならそれこそ「どこから来て、どこへ行こうとしてる?」「那智勝浦町から」と返事すれば、「修業し直しなさい」と追い返されるかもしれません。
 
「この世は競争社会だよ」「だから、競争社会で生き抜く力を身につけなさい。」というのも地図であり、「人は一人では生きられない。他の人と協力し合える力と心を身につけなさい」というのも地図であると思います。
 
厄介なことに、「この世は競争社会だ」と思っている人が集まって暮らせば、そこには競争社会が現象してきます。そしてその中で暮らしていると「やっぱりこの世は競争社会だ」という信念がますます強くなっていきます。「この世は競争社会だという判断」は地図ではなく、現地だと思いこみます。
 
じゃ、「この世は競争社会でなくて、本当は浄土世界」なのかというと、それもまた地図だと思います。
 
だから、一般意味論のコージプスキーは、「僕たちは地図の地図を描くことができる」といったのだと思います。「塵を払って仏を見れば、仏もまた塵」なのでしょう。
 
別の表現をすれば「笑う門には福来る」
弥陀の誓願を信じ、生きてみれば、確かに安心(あんじん)が現れます
なむあみだぶつ
 
ある人が言うには「地図と現地を完全に混同してしまう」のも「地図と現地を完全に切り離してしまうのも」<真面目>なんだそうです。
 
 そして
「地図」と「現場」を区別しつつ、しかもそれを意図的に混同することを、グレゴリー・ベイトソンは、<「遊び」の構造>といったそうです。
 
自分が認識している世界像とか信念は「地図」だと自覚したうえで、新たに「地図」をつくる、それが「地図の地図」を作ること、二重性を生きること、ネオロマンチシズムではないかと思っています。
 
そのためには、やはり「自分の見てきた世界像が地図であった」と感じること(回心)が前提となり、善人といわれる人は、躓くことが難しくて、かえって自覚しづらくて、ゆえに、親鸞は「善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」といったのでしょうし、親子であっても(親子だからこそ)、なかなか伝わらなかったりし、それでも、ちゃんとその機会は阿弥陀様か世間が用意してくださったりするように思っています。
 
ライオンの親子のように、親も子も強ければ、谷から突き落とすのだろうけど、我が家は親も子も強くないから、私が元気なうちは、旅の路銀を送り続け、躓いて、あるいは谷底に落ちて、いよいよ疲れたときの為に、いつでも風呂が入れるように用意して待つだけです。
 
悲しいね。