生きる意味はあるのか?

「生きる意味はあるのか?」と親や大人は、子供達からいつか問いかけられるように思う。
常に問いかけられていると言ってもいいし、
又、直接問いかけられたいし、問いかけられ、話し合え、応えられる「人」でありたいと願う。
 
長女の同級生が、自死して約一年になる。
 
「生きる意味があるのか?」という問いかけに対して、
決まった答えや応え方があるわけでないと思っている
 
「おそらく世界の側には決まりきった生きる意味などないのかもしれないが、
 <生きがい>なら持つことも、感じることができる」
と言える。
しかし、それは言葉に過ぎない
 
接触れ合って、関わりあって、生きて、言葉に意味が生まれる
 
もし、何らかの理由で、肉体的に身動きが取れなくなったとしても、
自分で、呼吸ができるのなら、
世界に問いかけ、働きかける可能性は、「人」にはあるように思う
 
ただ、その可能性は、毎日の今このときの、生き様の積み重ねのように思う