畳の上でキネステティク

12月3日に、那智勝浦町体育文化会館和室で、第一回キネステティク太極拳講座を行った。
 
 畳もあり、ベッドも必要な数だけあり、といった会場が、講座には理想的なのだが、そういった会場はないので、今回は和室。
 午後2時から4時まで、あっという間に、時間が経ってしまった。
  
 これまで、ベッドの上で端座位や投げすわりの人を、前に、後ろに移動する介助を、接骨院ではデモンストレーションしてきたが、今回、畳の上で、投げ座りしている人の移動となった。
 そこは臨機応変、畳の上だと、相手の後ろに廻って、介助することも可能、というか、畳の上ではそのほうが無理なくやれそうに感じた。
  
 「考え方」だけを、講義風に伝えても伝わりづらいだろうと思って、体位転換しながら、その中に考え方を織り交ぜるというやり方をしたのだが、2時間はあっという間だった。
  
 そういう予想もしていたので、講座のメモを用意しておいて、考え方の理解に援助になるかなと思って、講座の後で、手渡した。以下メモの一部。
   
☆ 内なる時間を感じる スピード、ゆっくり・ゆったりとはどういうこと?
  
 (二人一組になって、一人はうつ伏せ、一人は、背中をリンパマッサージ)
 (同じく、仰臥位から側臥位へ)
 時間には、外にある客観的な時間と、内側にある主観的時間があります。私達は、この二つの時間を使って生きています。(認知論)
 「午後2時に、電車は発車します。出発まであと1時間です。」というのは、外の時間を使っている例です。(1時間しかない、1時間もある、どちらも内なる時間です)
  
 紀伊勝浦駅から大阪まで、特急で、約三時間半かかります。(外なる客観的時間)
 同じ三時間半でも、長く感じるときと、短く感じるときがあります。
  
「3時間半もかかるの?新幹線なら大阪から東京に着いちゃうよ。」(内なる時間)
「たった3時間半?私が若い頃はね、8時間かかったんだよ。」(内なる時間)
   
 大体は、楽しい時は、時間はあっという間に過ぎていきます。
 退屈な時は、長く感じます。それでいて、楽しかったことを思い出すとき、長く感じます。
 子供の頃の一日・一年は、長く感じ、歳とってからの一日・一年は短いと感じたりします。
 このように、内なる時間は、状況によって感じ方違いますし、だから人によって違います。
  
 介護する側と、介護される側とでは、(実は一人一人の人間にとってそれぞれ)流れている時間のスピードが違うことを、感じてみましょう。そして、あわすことが容易な人が、相手にあわします。たいていの場合、介護する人の側のほうが、時間の調節がやさしいです。しかし、実際はどうでしょう。振返ってみましょう。
  
 ここでの、リンパマッサージの意図するところは、先ず、自分の内なる時間を感じることです。
 そして、それから、相手の内なる時間を感じます。
 (必ずしも、非介護者のほうが、ゆったりした時間の中にいるとは限りません)
  
 自分の呼吸、心臓の鼓動、筋肉の緊張などから自分の内なる時間を感じてみましょう。
 次に、相手の内なる時間を、相手の呼吸や筋肉の緊張から、動作から、表情から感じます。
  
<時間病・心ここにあらず病>
(自分が自分のしていることに気づいている時、時間はゆったりと流れます)
(心がいまここにない時、内なる時間を自覚できず外の時間に使われるとき、時間は流れ去っていきます。食べていない時、食べることを考え、食べている時、よそ事<過去や未来>を考えていたりします。)
  
(単身赴任の夫に関して
「夫は、月に4日も帰ってくる。」
 「夫は、月に4日しか帰ってこない。」
 もし貴方がその立場なら、どっちの言葉を使いますか?どちらでもない言葉はありますか?)
   
(滅多に手に入らないチョコレートをプレゼントされました。一週間経って
 「ああ、箱にもう半分しか、チョコレートが無い。」
 「まだ、半分もチョコレートが残っている。」
 貴方が、チョコレートを貰った人なら、
 どちらの言葉を使いますか、どちらでもない言葉を使いますか?)
 
 (介護あるいは子育てが負担と感じる理由には、今まで経験がない、肉体的に堪える、経済的に堪えるなど色々あるでしょうが、ひとつには、「時間の問題」があると思います。
 私達には、人それぞれに時間感覚があって、それぞれの予定スケジュールを組んで生きています。
 一日のスケジュール、一年のスケジュール、一生のスケジュール
 その予定からはずれ、自分の思う通りにならないと、負担に感じたりします。
 しかし、実際の人生は、一寸先が闇、自分の思いがけないことが起きて、思い通りにならないのが人生です。自分のスケジュールに固執すると、負担になります。
   
 ゆったり、ゆっくりとは、掛ける時間の長さではありません。いつでも、臨機応変に予定が変えられること、今ここに目覚め、今ここで実際に起こっていることを丁寧に味わうことです。
 全体と自分の関係を感じることができ、全体を信じることができたら、いつでも臨機応変に予定を変えることができます。一寸先は闇でも、闇の向こうを信じられること 私は宇宙に咲く花、いつか枯れても、またどこかで花が咲く 時間の先、闇の先が信じられないとき、つい焦ってしまう)