苦の滅 諸法非我

動物や植物は、どのようにして気温を感じているのだろう
 
恒温動物であれば、自分の体温を基準にして、
熱い暖かいとか寒い冷たいを感じることだろう
 
人間は更に、寒暖計とか体温計を作り出して
物理的な温度を観じる(感じているわけではない)
 
魚とか、ヘビトカゲとか、桜の木などは、どのようにして温度を知るのだろう
 
時間はどうだろう
今は朝だとか、昼だ、もうすぐ夜だということをどうやって感じるのだろう
 
人間が日時計を発明したように、太陽の位置で、昆虫や、爬虫類や、恒温動物や
植物は感じ取っているのだろうか
 
時計がなければ、人間だって、やはり、太陽の位置で、
一日のどの辺にいるかを知るのだろう
 
時間であれ、気温であれ
それを知るには、動くものと動かないものが必要だ
 
日時計の棒は動かない、太陽と影が動く
 
動くものと動かないものと、それと大事なのは、「記憶」
 
では、魚や桜の木に「記憶する機能」はあるだろうか
記憶を必要とするのは人間であって
桜の感じ方と人間の感じ方は違うだろう
 
アニミズムを信望する人は、人間と同じように
春が来たなら、桜も春が来たと感じるように受け取るだろう
私は、アニミズムではなくトーテミズムのほうなので、
もっと厳密に考えたい 
自然に投影するのでなく 自然から学びたい
 
変温動物や魚や植物たちは、「過去現在未来」という「積分化した」感覚ではなく
「今ここ」の「微分的感覚」を持っているように思う
 
なぜこのようなことを考えるかというと
「物事の実体化」と「積分化」はつながっているように思うからだ
 
目の前の花瓶に、アジサイが活けられている
5分前のアジサイと今目の前にあるアジサイ
同じ「アジサイ」と呼び、同じものとみているが
分子的には同じものではないだろう
 
私達は、この世に生れ、間もない頃
どういう過程を経て、母の顔、父の顔、兄弟姉妹の顔を知るようになったのだろう
正面から見た顔と横顔は同じには見えないだろうに
きっと発語はしていなくとも、内言語が大きな役割を果たしていることだろう
 
どこかの丁寧な学者さんが、研究をしているかもしれない
 
何を言いたいかというと
諸行無常、諸法非我であろうこの世界認識を
実体視してしまう傾向は、長い年月をかけてなされているということ
 
知人の話だが
脳梗塞で倒れ、意識不明となり、数か月眠り、奇跡的に回復した連れ合いが、
人格が変わったかのような行動をするので
戸惑っている
 
人格というものも、常に分子的には変化しており
そして今も五分先も、見た目には同じ人格に見えてしまったりする
 
無常でありストカスティック 
ストカスティックな制限は何によって生まれるのだろう
 
こういう問いには、答えられない だろう
 
宇宙が見る夢を信じることにしよう