冬薊

 あれは、確か23歳のことだったっけか、
 東南アジアを一人旅していて、
 タイ・バンコク赤痢になって死に掛けた。
 
 あまりの痛さに、「死んだほうがましだ。」と涙した。
 ああ死んでいくのだな、と思ったが
 痛みで気を失ったのだ
 
 そういう体験が、その後の自分の死生観に影響している。
 
 日本には、薊が約60種あると、歳時記に書いてある。
 季語は春だが、夏から秋にかけて咲くものが多いと。
  
 熊野では、そして私にとっては、薊は冬の花だ。
 
 神々から人間に差し出された手の一つとしての花
 「今出会わなくては、いつ出会うのか」と問いかける花
 
 私は、ともすれば速くなりがちな歩みを緩め
 野の薊と語らう
  
 その傍を多くの人が急ぎ足で追い越していく
 私は、道をあけ、路傍による
  
 最近は、つれあいとの歩調も会わなくなった
 私は今までより、もっとゆっくり歩きたいのだ
  
 だが、荷はまだ二人で担いでいる