父なき世代 神は死んだのか

父なき世代とは、
第一次大戦の直後に世に出た世代」
「伝統文化を見失った世代、というほどの意味である」
評伝 アンドレ・マルロオ 村松剛著 中公文庫 にはそう説明されている。
このことは以前にも語った。
 
更に
「父がいないということは、自力で運命に挑戦しなければならない」
「人間の運命を規定する最大のものは、死だろう」
とも書いてある。

自分の父母を振り返ってみると、
父は大正13年(1924)生まれ、母は大正14年生まれだけど
父母も、父なき世代の人だったと思う。
父は、マルロオと同じく、文字通り、他家に預けられ
父なき人だった
母は、没落していく庄屋の家で、財産を亡くした
父(私の祖父)は生きてはいたけれど、時代の変化に対応できない人だった。
 
そんな両親に育った私もまた、父なき世代だったと思う
 
死と向き合う為に、拠り所とする文化、内部モデルが無い
父母と父母の世代、世間に反発し
大学を辞め 仕事についても仕事を辞め
放浪を重ねた
 
思念的に死と向き合うだけでなく、
放浪中、タイで赤痢になって、死にかけた
 
日本に帰り、隔離され、からだを立て直したり
漁師をしたり、土方をしたり、サラリーマンをしたり
結婚もしたが、今思うとそれも放浪の続きだったように思う
 
今はどうか、今も放浪中だと思う
ただ、どこかにたどり着くことを目的としていない
 
ただ、先輩達が「死んだ」と宣言した神々については、
確かに先輩達の神々は死んだのだろう
しかし、全員が死んだとも思っていない
 
ともかく、僕達、あるいは少なくとも僕は
「父なき世代」の一員である
父なき世代は、自ら内部モデルを創っていくことが求められている