聴覚に障害がある人が、手話で会話することは、
ごく日常の行動です。
NHKでも、手話ニュースの時間があったり、講座が開かれていたりします。
でも、かつては、聴覚に障害のある人たちの学校では、
手話が禁止されていた時代があったそうです。
手話ではなく、相手の唇の動きから、相手の発言内容を読み取り
自分には聞こえない自分の声で話すことを、求められたそうです。
聴覚障害のある人を、健常(?)な人に近付けるという、考え方です。
こういう考え方は、聴覚障害に限った事ではありません
色々なことにおいて、健常な人と障害(?)のある人、できる人とできない人の間で
健常の側に立てるようにしよう、できる側に立てるようにしようという
働き掛けがあり、健常の側の論理、モデル、イメージで、
ものごとが進んでいくことが多いように思います。
あることができるようになりたい、できるように援助したい、
という目標の一致があることが先ず第一の前提ですが
目標の一致があっても、その目標へ至る過程は、
一つではないことの確認が大切だと思います
その際、援助する側は、自分の持っている内部モデルと相手の内部モデルが同じではないことを自覚し、そのどちらもが分かることが必要だと思います
援助される側にしても、自分の持っている内部モデルと健常な人の内部モデルが同じでないことは常日頃感じていることでしょうが、やはりそのどちらもが分かることが必要となってくるのでしょう。
援助する、援助される関係だけでなく、親子、夫婦、同僚の間でも大切なことと思っています。