友愛の行 瞑想

友愛の行

 「愛」という言葉を使って、「愛」を語るのは難しい
 キリスト教でいう「愛」と、仏教で言う「愛」は同じではない。
 私達一人一人が、「愛」という言葉に込める意味は同じではない。
 
 そもそも「愛を語る」目的は何か?
 誰を説得しようとしているのか?
 今ここでは、「自戒」のために、語ってみたい
  
 仏教の四苦八苦に、「愛別離苦、怨憎会苦」がある。
 私は、生き延びることを望み、
 私が生き延びるに都合がいいものと悪いものを選り分ける
 
 私にとって都合がいい(と判断した)ものを、好み、愛し
 私にとって都合の悪い(と判断した)ものを、避け、憎む
  
 この世界全体のことや、世界と自分の関係を自覚することなく
 先ずただ闇雲に、自分が生き延びたいと望む
  
 私が生き延びるに都合がいい(と判断した)ものを愛し、 
 私が生き延びるのに都合が悪い(と判断したもの)を憎む
 その結果どうなっただろう
 
 その結果を見ることなく、判断を自覚することなく
 やはり、ただ闇雲に、生き延びることを、快楽を望む 無明、無知
  
 愛とは先ず、自分の行いに気付くことだ
 自分の目標と目的に気付くことだ
 自分の判断と行為が、何をもたらしたか、つぶさに気付くことだ