男はつらいよ 熊野編 後姿の寅次郎 熊野夢日記 冒頭シーン

冒頭<夢のシーン>
 新宮市神倉神社 お燈祭り 時代は江戸末期 白装束の旅の僧一茶(渥美清)階段を駆け下りる。翌朝 神倉さんが見える山の一軒家(広津野付近)

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 女ぼたん(太地喜和子)「私たち、まるで織姫と彦星みたいね。こうして年に一度くらいしか会えない。」

 一茶「だからよ、龍野(第17作 寅次郎夕焼け小焼け 昭和51年7月封切りのロケ地)にいると思って訪ねたら、熊野にいるっていうことで、こうして熊野まで逢いに来たんじゃないか」

 女「そうよ、私ね、この近くの太地ってところでうまれたの。事情があって、実の父母を知らないけどね。」
一茶「そうかい、お互い風来坊だな、またどこかで会おうや。達者でな。」
一茶俳句をしたためて女に渡す <きぬぎぬや かすむまで見る 妹の家> 

   

 峠付近の草むらで何かがさごそ動いている。熊がでてくる。 驚く一茶。
 一茶「ここは熊野。やっぱり熊が出るんだ。」逃げる一茶。谷に落ちて気を失う。

顔に水がぽたぽた落ちてくる。
 寅さん「ひえ、つめてえ。」 (紀伊勝浦行特急南紀の中。熊野市付近。寅さんは眠っていた。)若い女たち「あらごめんなさい。しっかりふたを閉めたつもりだったのに。ペットボトルから水がこぼれてるわ。
 網棚に置いた女たちの荷物から水が滴っている。


寅さん「いいってことよ、水も滴るいい男ってね。お姉ちゃんたち、観光旅行かい?」
女たち「私たち、大学生。ゼミの研究旅行なの。あちらに座っているのが、先生。熊野文学の旅というテーマで、熊野のあちこちを歩くの。おじさんは?」
寅さん「俺かい、俺は訳ありの旅さ。知り合いから頼まれごとをされてね。まあ、元々風来坊だから、風の吹くまま気の向くままの旅さ。」

 カメラは、特急の窓の外へ。七里美浜。太平洋。 タイトル「男はつらいよ」後姿の寅次郎・熊野ゆめ日記

 
シーン① 那智勝浦町ゆかし潟周辺 ゆかし潟祭りがおこなわれている。ステージでは、わがらーずが「思い起こせば恥ずかしきことの数々」を歌っている。その周りには、地元産品を売る市がたち、潟の周りは、ウォークをする人々俳句の吟行をするグループ ジオガイドとともに歩く人々

     清乃22歳 ジオガイドをして参加者に説明している。

 

清乃「ここは、ゆかし潟といいます。関西では珍しい汽水湖です。紀伊半島ができたといわれる1200万年前頃に、この汽水湖もできたといわれています。空から見ると、ハート形をしています。」

     グループが移動しようとしたら、道の真ん中で、バックパックを背負いギターケースを持って安朗が、清乃を見つめ続けている。
     
     清乃、安朗に話しかける、
清乃「あのう,その荷物おろして、一緒に参加しませんか? ほら、そこのテントで預かりますよ。」
      安朗、清乃の笑顔に魅かれて、ウォークに参加する。
ステージでは、「しんぐうことばあそびうた」がはじまる 安朗、清乃に話しかける。

 

安朗「今日は、色川からも農産品を出店していると聞いたんですが?」
清乃「それならステージの横よ。ちょうどわたしそこへいくところ」
そこに、声がかかる
夕子「やっちゃんじゃないの? え、どうして?」
清乃「夕子さん知り合い?」
夕子「ええ、親類の安朗君。安朗君、今の時期なら研修中でしょう?」
安朗「このまま、官庁に勤め、それから親の事業を継ぐ人生でいいのかな? と思ってさ。将来会社を継ぐんだったら、弟の方がふさわしいだろうし、 
   それともう一つ、ここ熊野で、確かめたいことがあって…」

 

シーン新宮駅 特急南紀から降りてくる寅さん D51工房に電話をかける。
豊村啓二「え、東京からわざわざ。それはどうもすいません。叔父から聞いています。今から迎えに行きます。」
豊村、仕事の手が離せないので従業員の松原に頼む。

 

シーン色川 安朗は、夕子が入植している色川へ行くことにする。安朗と夕子の会話。

安朗「このままの人生でいいのかな、自分のやりたいことをやるべきなんじゃないかな?と思ったとき、夕子さんのことを思ってね。夕子さん、京大の大学院生の時、研究で色川を訪れ、そのままここに入植して、農業しているでしょ?
 僕も農林水産省に入り、農村振興部に配属され、研修で海外の色んな地域にも出かけたんだよ。世界の色んな地域、農業や環境の現状や歴史を見ていて、僕の生き方はこれでいいのかな、と思ってね。そこで、夕子さんを思い出したわけ。
 それともう一つ、ここへ来た理由は、僕の実のお母さんに逢いたくて。お父さんと結婚したころの写真でしか知らないけど、藤井の家を出た後、熊野に帰ったということは聞いていたんだ。どうして、家を出ることになったのか、誰も教えてくれなかったし。
 ゆかし潟祭りの時、お母さんの写真そっくりな人がいてね。清乃さんって言ったよね、ジオガイドしていた人。」

 

シーンD51工房 ミュージックカフェ フォークス
寅次郎「で、どうして奥さん実家に帰ってしまったの?」
豊村啓二「最近、話がかみ合わなくて。どう表現しようかな。 例えば、僕は、立体の話をしたいんです。でも彼女の口から出てくるのは平面の話なんです。 結婚した当初は、ふたりとも、目標を定めてそこに向かって努力するという直線的、平面的な世界観でした。でも、人生を重ねるうちに僕は、過程で、未熟であっても、今ここに、永遠があると思うようになったんです。例えば、長男のことでも意見が対立しましてね。長男には特殊な感性があると僕は思います。いわゆる発達障害なのですが、彼女は、幼いころも、今も、長男の努力が足りないだけだと、叱咤激励するんです。」


 啓二は、地元で発達障碍児の会の会長をしている心療内科医の前田医師とは同級生。前田医院の看護士、前島誠子と最近会って話す機会が多い。誠子は、クリスチャン。同じくクリスチャンである前田医師を通して、啓二は旧約聖書に興味を持つようになり、誠子とも話し合うことが増えた。前島誠子は、シングルマザー。子ども(未知)は、アスペルガーの診断を受けている。

「男はつらいよ」後ろ姿の寅次郎 熊野ゆめ日記 寅さんを語る会編 2019.1~

 今年2019年の年末には、「男はつらいよ」第50作が、22(23)年ぶりに封切りされます。49作品のうち、和歌山県がロケ地になっているのは、第39作(昭和62・1987年12月)「寅次郎物語」での和歌浦のみです。


 そこで、私たち熊野の寅さんファンが集まって、もし寅さんが熊野を訪れたら、マドンナは誰? ストーリーは? ロケ地は?と 私達一人一人の中に生きている寅さんをより合わせて脚本つくりをすることにしました。

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 寅さんを演じる渥美清さんは、俳人でもあり、俳号は風天。それに因んで、俳句会や連歌の手法で、脚本を共同制作し、人生を充実させたいと思っています。 現在進行中です。あなたも一緒にどうですか?

 

大まかなストーリー(阪口案)
 京大大学院を経て、農林水産省に入省した藤野安朗は、研修で訪れた世界の国々の歴史と現状(アウシュビッツカンボジア、フィリピン・スモーキーマウンテン、沖縄、福島など)を見るにつけ、人生に迷っていた。同じく京大大学院からそのまま紀伊半島の南、和歌山県東牟婁郡の山村へ入植した内山夕子のことを思い出し、那智勝浦町色川を訪れる。安朗には、もう一つ目的があった。乳飲み子の安朗を残したまま、病弱ということで離縁された安朗の母が、熊野にいると聞いて、探し当てて逢いたいと思っていた。
 奈良の山林地主・旧家に生まれ育った安朗の父・賢治は、その後再婚し、弟 新次郎が生まれている。新次郎も京大を卒業後、商社に勤めている。
 将来、藤野の家の事業を継ぐのは安朗なのか新次郎なのか、親族の考えも二分している。安朗は、弟が継げばいいと思っている。

 

 那智勝浦町のゆかし潟で行われたゆかし潟祭りの会場で、安朗は写真でしか知らない母の面影を感じさせる大石清乃に会い、親切にしてもらい魅かれていく。お祭り会場に農産物を出店していた夕子にも出会う。
 観光ガイドやジオガイドをしている清乃に連れられて、安朗は、熊野のあちこちを案内してもらう。
 本宮大社 湯の峰 熊野川川船下り 速玉大社 神倉お灯祭り 丹鶴城 西村伊作記念館 大石誠之助の墓   ますます清乃に魅かれていく安朗

 

 寅さんも、タコ社長の依頼で熊野を訪れていた。
 タコ社長の甥、豊村啓二と恵美夫婦(村田雄浩、和久井映見)は、三重県紀宝町で、同じ印刷業D51工房を営んでいるが、訳ありで別居中。忙しいタコ社長に代わって、寅さんが旅の途中に立ち寄り、仲裁の役を取ることとなった。妻恵美は、家を出て、実家の本宮町伏拝にいる。実家の父 久喜城四郎(井川比佐志)。
 寅さんは、(D51工房従業員松原洋一の案内で、)伏拝に出かけ、恵美の趣味古道歩きに付き合うことになる。
 途中立ち寄った休憩の茶屋・自然食レストランで、寅さんはそこのおかみさんに一目ぼれ。
 
 熊野本宮で、安朗は清乃の母大石智恵子(自然食レストラン経営)に会う。(吉永小百合?高橋惠子?)
 智恵子と寅さんの会話から、安朗は、智恵子が藤井家から離縁された母とわかる。つまり、清乃は異父兄妹。
 安朗は、清乃が妹であるとわかり、清乃への思いを諦める。

 

 しかし、その後の展開で、安朗は安朗の父・賢治の子ではなく、安朗の祖父七左衛と愛人幸子の間の子どもとわかる。賢治・智恵子夫婦は、智恵子が病弱ということもあって、結婚後長年子どもが生まれず、跡取りを願う藤井家の親族会議で、幸子の子安朗を賢治・智恵子夫婦の養子にした。つまり、安朗と清乃には、血のつながりはない。そのことがわかり、安朗は再び、清乃に恋心を燃やす。 安朗、寅さんの恋は如何に?

寅さんは教養をどう見ていたか


NPO熊野みんなの家では、「寅さんを語る会」を開催中です。

1月1日は、来場者の希望で、第2作 続・男はつらいよ 第29作 寅次郎あじさいの恋 第11作 寅次郎忘れな草 を観ました。

第2作にある寅さんのコトバ「さしずめインテリだな」について語り合いがありました。

山田洋次監督の「寅さんは教養をどう見ていたか」というインタビュー記事が、朝日新聞デジタル版にあったのですが、今はないようなので、ここに張り付けておきます。以下引用。

「さしずめインテリだな」寅さんは教養をどう見ていたか 山田洋次監督インタビュー
2015.8.19朝日新聞デジタル

 文部科学省が国立大学の人文社会科学系学部の廃止・転換を求める通達を出すなど、現代の日本社会には「教養」というものに対する逆風が吹いている。寅さんという「教養」とは対極にいそうな人物を生み出した映画監督の山田洋次さん(83)は「教養」についてどんな考えを持っているのだろう。

インテリ嫌いの寅だけど…「本物の教養ある人は尊敬」

――「男はつらいよ」の車寅次郎はインテリ嫌いだとよく言われます。実際そんなセリフもたくさんありますが、インテリ嫌いの一言ではくくれない思いもあるような気がします。

 そうだね。寅さんのインテリ嫌いが最も雄弁に語られているのはね、「続・男はつらいよ」で山崎努が演じる若い医者と、寅が言い争いをする場面でね、山崎さんが「その点については僕が謝る」という言い方をしたのを受けて、寅が「お! てめえ、さしずめインテリだな」って言うところですね。そこで観客が大爆笑した。びっくりしました。

――有名なセリフですね。私も大笑いしました。

 「てめえ、インテリだな」というのは僕が書いたセリフです。だけど、そこに「さしずめ」をくっつけたのは渥美清さん。優れた俳優というのは、とっても素晴らしい言葉を、時々無意識に出してくるんですよ。寅さんはね、深い教養のある人のことは分かるんですよ。そういう人のことはちゃんと尊敬しています。

――インテリをからかう裏には、教養への尊敬があるんですね。

 「寅次郎恋歌」に志村喬さんが演じた飈一郎(ひょういちろう)という元大学教授が登場します。寅の妹さくら(倍賞千恵子)の夫である博(前田吟)の父親です。彼は大学でインド古代哲学を教えていた。寅にとってはインド古代哲学は縁もゆかりもないけれど、飈一郎のような人がそれを一生懸命勉強していることがこの国にとって重要な意味を持っていることは理解している。彼を尊敬しています。適当にからかったりしながらも、心の底で深い愛情を寄せている。

――実社会で役に立たない学問を馬鹿にする寅さんと、人文社会科学系学部の廃止・改編を通達する文部科学省の考え方は表面上は似ていますが、奥のところで違っていますね。

 インド古代哲学なんていうね、実学しか必要ないと言っている今の政府が求めるものからは最も遠い学問でもね、寅さんは認めている。教養がなくなるとね、乱暴な決めつけをするようになります。今の政府・与党がそうですよ。居酒屋で酔っ払ったおじさんが話しているんならいいですよ。「やっつけろ」とか「つぶしてしまえ」とか。でも、公の席で口にすることではないですよ。

知ったかぶりさえしない今の世の中

――教養って何でしょうか。

 それはとても難しい問題だけどね、ある種の常識って言うのかなあ、あれは「寅次郎相合い傘」でしたが、浅丘ルリ子のリリーと船越英二のパパと寅さん、3人で北海道を列車で旅している時にね、寅さんが言うんです。パパのことを「この男、変わってるよね」と。そして「俺たち常識人には理解出来ないよね」って続けた。観客がワーッと大笑いするんですけどね。じゃあ、常識って何だろうと思うわけです。例えば、日本は1941年にパールハーバーに奇襲を仕掛けてアメリカと戦争を始め、1945年に2回の原子爆弾を受けて戦争が終わった、というようなことはまあ常識として知っていなくちゃいけない。でもこうした歴史的知識を知らない人が増えている。しかも知らなくても大学に入れる。それなら覚える必要はない。でも、そうじゃないですよね。常識は知っていなくちゃいけないんです。国民がどんな常識を持っているかで、その国の文化レベルが決まってくるんじゃないでしょうかね。その意味で、インド古代哲学を研究する人がこの国には必要だということを、寅さんは常識として知っているんだと思いますよ。

――教養がないのは常識がないことですね。

 常識として持っていなきゃいけない教養というのがありますよね。そういう知識を持っていないことを恥じるというかな、そういう気持ちがなくなってきた気がしますね。昔、スノビッシュという言葉があってね、簡単に言ってしまえば、知ったかぶりをすることなんだけど、知識があることを自慢するという発想が今の若者にはあまりないんじゃないかな。日本と米国が戦争をしたことを知らなくても恥ずかしいと思うことがないですよね。

――常識がないと寅さんのセリフを面白がることもできないような気がします。

 寅さんが「さしずめインテリだな」と言って観客がワーッと笑うということはね、いろんな大事な意味があってね。渥美さんという俳優は、実は非常に知的な人なんです。大変な読書家だし、人間について、世界について深い教養を誰よりもよく持っている。誰よりも道理を心得ている。すべてを分かっている渥美さんが「さしずめインテリだな」と言っている。だから観客は「馬鹿だねえ」「どこが馬鹿なんだよ」というやりとりを聞いて、安心して一緒に笑うことが出来る。そんじょそこらの役者じゃ成り立たないんです。

――「インテリは自分で考えすぎますからねえ」というセリフも印象に残っています。第3作「フーテンの寅」で、好きな女に告白も出来ない河原崎建三の大学生に向かって寅さんが言うんですよね。

 そうそう、ありましたねえ。「自分の頭は空っぽだから、たたけばコーンと音がする」ってね。インテリはね、寅さんのことがうらやましいんだよ。インテリの頭の中は配線がゴチャゴチャだからね。あのセリフも、渥美さんが道理をわきまえた知的な人だから言えるんだと思いますね。

――山田さんもうらやましいですか。

 ハハハ。僕はね、渥美さんにこう言われたことがあるのよ。「山田さんはインテリですね」って。僕をからかってるんですけどね。「なんで? 僕のどこがインテリなの?」と聞いたらね、「山田さんはしつこいから」って言うんですよ。撮影現場で何度も何度もやり直しをさせるからなんですけどね。「映画の作り方がね、あきらめが悪い」って。「それはインテリだからなんですよ」と。「あたしなんかはすぐに諦めるね」と渥美さんは言うんだ。江戸っ子っていうのは、そういう傾向があるのかね。「だけど、ものを作る人にはね、諦めの悪さが必要なんですよ」と渥美さんは言ってた。そういうことを深い部分で理解しているんですよね、渥美さんは。

――渥美さんのような人が少なくなりました。

 昔、先代の柳家小さん師匠が落語協会の会長だった時、「会長の仕事は大変でしょう」と聞いたんです。そしたら小さん師匠がね、「いやあ、大したことはやってねえけどね、物事を決めるには理事会を開かなきゃいけないんだけど、話がややこしくなるとね、理事の連中はすぐ『もういいや、そんなことどうでも。早く酒飲もう』となっちゃう」と。

――私もややこしくてなかなか決まらない会議によく出席させられます(笑)。

 でもね、民主主義の議論っていうのはね、しつこく果てしなくやらなきゃいけないんですよ。「同胞」という映画の議論はそうでした。夜遅くなっちゃって、「議長、もうやめようよ」というセリフに観客はわーっと笑うわけだけど、その笑いってのは、「そういうことってあるよねえ」という思いと同時に、「やめろよ」と言いながらも最後の最後まで一生懸命議論することへの共感があるんですよ。

――果てしない議論は馬鹿馬鹿しいという思いと、でもその議論が必要だという思い。当時の観客は両面を理解していましたね。いまは馬鹿馬鹿しいという思いだけになりがちです。

 そうだねえ。最初から議論する気がないというかなあ。自分がこう決めたら何が何でもこれで行くんだ、議論は形ばかりでいい、というのが今の国会なんか見てるとそうなっていますね。少数の意見にも、ちゃんと耳を傾けて真摯(しんし)に考える。それが民主主義じゃないのかな。

――民主主義って、面倒くさくて格好悪いものなんですよね。

 そう。とっても効率が悪いんですよ。果てしなく議論しなきゃいけないし。安保法案なんて2年かけても3年かけても議論し尽くさなきゃいけないんじゃないのかね。うんざりするくらい議論しなきゃいけない。早く決めちゃいけない。延々と議論して、寅さんに「あんたたち、しつこいねえ。やっぱりインテリだねえ」とからかわれるくらいでないといけないんですよ。

――本当ですねえ。

 寅はちゃんとそういう果てしない議論を認めるんですよ。あくびしたり、居眠りしたりしながらね。強引に多数決で決めちゃえというのは、寅さんは「良くねえ」と言うんじゃないかなあ。「そんなこと言わないで、あいつの言い分を聞いてやれよ」とね。渥美さんという人がね、そういう人だったんです。大勢の人がいるとね、一番目立たない人のことをいつも見ている。その人がどういうことを考えているのかを想像するのが渥美さんは好きだったね。少数意見にこだわる人の気持ちを渥美さんは面白がっていましたねえ。

――民主主義の理想の形ですね。今日はありがとうございました。

(聞き手 編集委員・石飛徳樹)

以上引用。

 コトバによる認識や思考の限界を知り、一旦コトバから離れてみることと、コトバを否定して捨てることは、別だと私は思います。

寅さんの結婚? 2019年正月お楽しみで脚本つくり


若者 「ねえ、寅さんは、結婚しないの?」

寅さん「俺かい? 俺は、愛し合っても、結婚はしないな。」

若者 「え、どうして?」

寅さん「どうしてって、ひととひとが愛し合うのに、届け出とか許可が必要かい?ようく、世の中を見てごらん。こんなに大勢のひとがいるのに、同じ顔をした人はいないだろ。一人の人間でも、若い時と大人になった時とは違う、泣いてる顔と笑っている顔はちがう。だから、ひととひとが愛し合うにも、色んな姿がある。 おんなじじゃない。


若者「なんでもあり、ってことですか。なんでもありってことは、何もないというのと同じですね。」


寅さん「そうよ、愛し合うのに、決まった型などない。型はないけどよ、縄をなうようにね、まず、ひとりひとりそれぞれが、身を捩ることが大切だ。そして、二人でその都度、お互いの思いと身を寄せ合い、すり合わせながら生きていけばいいんじゃないか。」


若者「寅さん、僕、縄をなったことがないんです。」


寅さん「そうかい、縄をなったことがないのか、じゃ、今の話わかんないだろな。ようく見てろよ、横槌で叩いた藁をな、一掴み掌にとって、二つに分けて、両手でまず撚りをかける。向こう側の藁を手前に持ってきて、また撚りをかける。その繰り返しだ。お互いに撚りがかかっているから、絡まっていく。束ねただけでは、一本の縄にはならないんだよ。」


若者「じゃあ、二人が思いをすり合わせ、婚姻届けを出すことに同意すれば、出してもいいんですよね。」


寅さん「そうさね。まあ、税金のこととか、幾分は有利なことがあるかもしれない。ところが、世間に認められ、ましてや国家に認められると、そこからこそが、ふたりには危険なんだよ。」


若者「どういうことですか?」


寅さん「世間に認められ、いつも一緒にいるとね、慣れが生まれたり、努力を怠るようになりがちなんだ。縄をなうことでいうと、甘ければ甘いほど、独り、身を捩ることを忘れてしまう。愛は習慣や強制された義務じゃない。巣に籠ることでもない。だから、俺は愛し合っても、結婚はしないね。」


若者「それじゃあ、子育ては誰がするんですか?」


寅さん「それも色々なんだな。お前さんの方が、よく知っているだろ。核家族なんてのは、ほんの最近の話よ。」

2019年1月1日〜3日 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町市野々3987 NPO熊野みんなの家にて
熊野特別編の脚本つくりをして、楽しみます。宿泊も可能です。参加費無料。

2019年お正月は寅さんを語る会

 今日の朝目覚めた時、あなたは、布団の中で一番に何を思ったでしょう? 何語を使って、どのようなことを考えましたか? おそらく、「母語・日本語」だったと思います。
 
 何を言いたいのかというと、自由意思で、新鮮なことを考えるよりも、私たちは習慣や条件反射、過去の記憶や思い込みで生きてしまうことが多いということです。朝、私たちは、その日一日の「脚本」を書きます。そこには、「みえない文脈」があります。起きだして、ヒトに出会うことで、脚本を書き直していきます。「生業・なりわい」とは、五穀が生(な)るように努めることをいいます。脚本を書き直すにしても、世界に実りをもたらす一日・人生にしたいものです。


〇一緒に「人生の悲喜こもごも」を「付けあって」、「座」の芸術を育てましょう。

 現代人が親しんでいる「俳句」は、連歌の「発句」が独立発達したものです。連歌とは、和歌から生まれた詩歌のひとつです。五七五の「発句」に、七七の「脇句」を付けて、長短の句を交互に付けて、調和のあるドラマが展開するような和歌を連作します。そこには、一種の鍛錬と感銘が生まれます。

 あなたの人生への思いを、寅さんやヒロインに託し、共同で脚本を書いてみましょう。脚本や詩歌を創ることで、みえないことが、みえないままで、みえてきます。もちろん、会話を楽しむだけでもいいですよ。ご気楽に。

 2019年1月1日 朝から始めます。お好きな時間に参加して下さい。宿泊も可能です。

 寅さんは、俳句を詠んでいました。私としては、熊野を訪れたことのある一茶や、能の「巻絹」、本宮町に伝わる異父兄妹の安珍清姫も登場させたいです。

 きぬぎぬや かすむ迄見る妹の家 小林一茶 尾道あたり

 きぬぎぬは、衣衣・後朝と書いて、共寝をして過ごした翌朝のことをいいます。妹は愛人。
   さて、あなたなら、この句に、どのような七七を付けますか?   
   (道なき故に独り行く道 k)


 649-5302 那智勝浦町市野々3987 NPO熊野みんなの家
      0735−30−4560

他力の大地に、自力の花が咲く


「自力他力は、初門のことなり。自他の位を打ち捨て、唯一念、仏になるを他力とはいうなり。」一遍上人語録 巻下 十八

「他力称名の行者は、此身はしばらく穢土にありといえども、心はすでに往生を遂げて浄土にあり。」一遍上人語録 巻下 三十九

Shema Yisrael Adonai Eloheinu Adonai Echad 申命記6章4節

現成公案 われに時あるべし。われすでにあり、時さるべらかず。 只管打座 「正法眼蔵」 道元


 私達現代人は、ともすれば、この世界の成り立ち・変化を見るとき、二つの独立・対立する要素に分けて、その集まりと見がちです。
 左右、上下、明暗、善悪、男女、老若、原子と電子、外と内、肉体と精神、始まりと終わり、自他(主客)、敵味方、成功と失敗、苦楽、正常と異常、生死、独立と依存


 ヒトの成長とか課題の解決、信仰を考えるときも、対立する二元でとらえがちです。
 自力と他力、性善説性悪説、意志と環境、信と不信(疑)、競争と協力


 自力を支持する人は、他力を批判し、他力を支持する人は自力を(自力的に)批判しがちです。
 そして、近現代人は、どちらかといえば、自力を支持する傾向にありました。
 例えば、自然界に多く見られる困難、天災とか病気を、自力である知性や科学技術で克服しようとしてきました。 しかし、私たちヒトは、天災のすべて、病気のすべてを克服できたわけでなく、それどころか、その科学技術により、新たな困難を生み出しました。 公害、自然破壊、原発事故、医原病、経済格差など。


 ある人々は、自らに問います。「もともと課題を解決しようとしたことなのに、どこが間違っていたのだろう?」


 そうやって問いかける人々の中で、さらにある人々は、問います。
「そもそもの前提、考え方の基礎が、間違っていたのではなかろうか?」と。


そもそもの前提、考え方の基礎とは、二つの独立・対立した要素に分けて、この世界を見ることです。


それは、別の問いかけになって問われます。
「そもそも、ヒトに完全な自由意思はあるのだろうか? 
自由意思だけで、課題の解決はできるのだろうか?(例えば、依存症)
 自分(自己・主体)と自分でないもの(客体・環境)を、分けることができるのだろうか?」


この問いかけは、止観瞑想、止・シャマタ瞑想によって生成した集中力の持続状態でもって、具体的事例を検討しながらじっくり考える観・ビパッサナ瞑想においてのテーマによく選ばれます。


 「人間は万物の霊長である。」という世界観があります。「主体性」「自己責任」「健康増進」「不老不死」「修行による解脱」「食糧増産」「啓蒙」「弱肉強食」


 それらは、「ヒトには、自我・自己という主体があり、ヒトは、自由意思でもって、人生を切り開いていく存在である。」という人間観が、暗黙の前提となっています。


 「自力と他力は、相いれない二つの立場」という見方は、適切なのでしょうか?
あるいは、「有神と無神」、「在神と不在神」は、相いれないでしょうか?


 現にある私たちのからだ、生命活動から考えてみましょう。
 ヒトが生きていくには、なんといっても、食べ物、水、空気が必要です。
 食べ物、水、空気の摂取のため、私たちは、私たち自身の頭・自由意思を働かせ、肉体を駆動します。


 摂取以上に大切なこと、それは、生命活動で生まれた老廃物を「排泄」することです。


 例えば、水と尿。水を3日間以上摂らないと、生命の危険があるといわれますが、尿だと3日も排泄しないと尿毒症になり、生きていけません。 この排泄において、どれほど自由意思が関わっているでしょう?


 かねてから不思議に思っていることがあります。
赤ちゃんは、ときところかまわず、排便、排尿します。しかし、大人になるとおねしょをしなくなります。
そのメカニズムが不思議でなりません。子どものころは、夢と現実の区別がつかなくて排尿してしまうのに、大人は、夢を見ている最中、夢と現実を子どもと同じように区別がつかないのに、排尿だけをどのようにして区別しているのでしょう?
 自由意思と自由意思でないものの境界がよくわかりません。


 食べ物、水、空気以外にも、生きていくのに不可欠なものことがあります。光、大地、闇、コトバなどです。


 「コトバを使って話す」ことこそ、自由意思の表れのように思ったりしますが、実はその逆です。


 ヒトには、それぞれ母語があります。今この文章を読んでいるほとんどの人の母語は、日本語でしょう。
 では、私たちはこの母語を、私たちの自由意思で選んだでしょうか?
 母語で使われるコトバの意味や文法の形成に、私たちはどれくらい自由意思でもって関わったでしょうか?


 自由意思で使っていると思っている母語こそ、まるっきり自由意思で選んだわけではないのです。
 コトバを使うことにおいても、自由意思とそうでないものとの境界が、あいまいになってきます。


「歩く」ということを観察したとき、ヒトなら、世界中同じように歩くとおもったりします。
しかし、山岳であるか、平地であるか、農耕文化か狩猟文化であるかによって、歩き方は変わります。


排泄、歩行、母語から見えてくるのは、自と他は、対立しているとは限らないということではないでしょうか?


 「他力という大地の中に根を伸ばし、自力の花が咲く」、私にはそんなイメージがあります。
 この世界は、対立した要素で成り立っているという見方が、苦しみを生み出しているのでは、と思うのです。

現成公案 只管打座


 紀伊半島の南、那智勝浦町那智(妙法)山の山麓にある我が家の周りは、本格的な落葉のシーズンとなりました。朝、竹箒で玄関と家の前の道路を掃きます。
 
 禅寺の小僧さん宜しく、落ち葉掃きという作務は、一種の止観瞑想となります。


 「片づける」という作務の目的・喜びは、その行為の結果「片付く」ことにだけあるのではなく、片付ける行為「そのもの」にもあります。 同じような動作の繰り返しでありながら、一つ一つの動作は、一回きりの動作です。
急いで片付けても、ゆっくり片付けても、片付くことは同じですが、急ぐと、「片づける」という行為が、単に「手段」となりがちで、喜びや気づきがありません。
 動詞で「急ぐ」という漢字は、形容詞になると「忙しい」、心を亡くす(心ここに生らず)と書きます。


 同じく「食べること」の喜びは、その行為の結果、完食して褒められたり、栄養を得ることにだけあるのではなく、食べる行為、そのものにもあります。 それには、ゆっくり時間をかけようとするよりは、時間や満腹感、次の予定に捉われないこと、咀嚼や嚥下に敏感・マインドフルネスになることが大切です。


 これは、掃除や食事、呼吸だけでなく、日常の動作一つ一つに言えることだと思います。


「歩く」行為にしても、日常生活の多くの「歩く」は、何か目標に向かって「手段」としての「歩く」でしょう。
様々な動物の中で、直立二足歩行できるのはヒトだけである、歩くこととコトバを使うこととは深い関わりがある、歩く動作にも環境文化の規制がある、歩くことはほぼ奇跡である、歩くことは色即是空である、ありがたい、と自覚しながら歩くことはまれです。


 歩く本人にしてみれば、目標に近づいた、と思うかもしれませんが、空から見れば、単に地球平面上の位置が変わっただけです。 場所(空間)にしても、時間にしても、遠い近い、過去現在未来と一方向的にのみとらえてしまうと、今ここが、単なる「過程」「手段」になってしまい、「今ここを生きていない」「こころここに生(あ)らず」「ちがいがわからない」状態になりがちです。


 止観瞑想にしても、「悟る」に至るために瞑想を始めると、その行為が単なる手段となってしまい、悟ることからはむしろ遠ざかります。


 今、こうして「書くこと」にしても、何かの目的の手段としてだけ書いてしまえば、危うくなります。


「手段」が一切だめということではなく、気を付けて「手段」だけにはしないようにしようということです。


「未完了でありつつ、完了」という古代ヘブライ語のような二重性。 只管打坐。現成公案
矛盾を抱えたままの、永遠。