寅さんは教養をどう見ていたか


NPO熊野みんなの家では、「寅さんを語る会」を開催中です。

1月1日は、来場者の希望で、第2作 続・男はつらいよ 第29作 寅次郎あじさいの恋 第11作 寅次郎忘れな草 を観ました。

第2作にある寅さんのコトバ「さしずめインテリだな」について語り合いがありました。

山田洋次監督の「寅さんは教養をどう見ていたか」というインタビュー記事が、朝日新聞デジタル版にあったのですが、今はないようなので、ここに張り付けておきます。以下引用。

「さしずめインテリだな」寅さんは教養をどう見ていたか 山田洋次監督インタビュー
2015.8.19朝日新聞デジタル

 文部科学省が国立大学の人文社会科学系学部の廃止・転換を求める通達を出すなど、現代の日本社会には「教養」というものに対する逆風が吹いている。寅さんという「教養」とは対極にいそうな人物を生み出した映画監督の山田洋次さん(83)は「教養」についてどんな考えを持っているのだろう。

インテリ嫌いの寅だけど…「本物の教養ある人は尊敬」

――「男はつらいよ」の車寅次郎はインテリ嫌いだとよく言われます。実際そんなセリフもたくさんありますが、インテリ嫌いの一言ではくくれない思いもあるような気がします。

 そうだね。寅さんのインテリ嫌いが最も雄弁に語られているのはね、「続・男はつらいよ」で山崎努が演じる若い医者と、寅が言い争いをする場面でね、山崎さんが「その点については僕が謝る」という言い方をしたのを受けて、寅が「お! てめえ、さしずめインテリだな」って言うところですね。そこで観客が大爆笑した。びっくりしました。

――有名なセリフですね。私も大笑いしました。

 「てめえ、インテリだな」というのは僕が書いたセリフです。だけど、そこに「さしずめ」をくっつけたのは渥美清さん。優れた俳優というのは、とっても素晴らしい言葉を、時々無意識に出してくるんですよ。寅さんはね、深い教養のある人のことは分かるんですよ。そういう人のことはちゃんと尊敬しています。

――インテリをからかう裏には、教養への尊敬があるんですね。

 「寅次郎恋歌」に志村喬さんが演じた飈一郎(ひょういちろう)という元大学教授が登場します。寅の妹さくら(倍賞千恵子)の夫である博(前田吟)の父親です。彼は大学でインド古代哲学を教えていた。寅にとってはインド古代哲学は縁もゆかりもないけれど、飈一郎のような人がそれを一生懸命勉強していることがこの国にとって重要な意味を持っていることは理解している。彼を尊敬しています。適当にからかったりしながらも、心の底で深い愛情を寄せている。

――実社会で役に立たない学問を馬鹿にする寅さんと、人文社会科学系学部の廃止・改編を通達する文部科学省の考え方は表面上は似ていますが、奥のところで違っていますね。

 インド古代哲学なんていうね、実学しか必要ないと言っている今の政府が求めるものからは最も遠い学問でもね、寅さんは認めている。教養がなくなるとね、乱暴な決めつけをするようになります。今の政府・与党がそうですよ。居酒屋で酔っ払ったおじさんが話しているんならいいですよ。「やっつけろ」とか「つぶしてしまえ」とか。でも、公の席で口にすることではないですよ。

知ったかぶりさえしない今の世の中

――教養って何でしょうか。

 それはとても難しい問題だけどね、ある種の常識って言うのかなあ、あれは「寅次郎相合い傘」でしたが、浅丘ルリ子のリリーと船越英二のパパと寅さん、3人で北海道を列車で旅している時にね、寅さんが言うんです。パパのことを「この男、変わってるよね」と。そして「俺たち常識人には理解出来ないよね」って続けた。観客がワーッと大笑いするんですけどね。じゃあ、常識って何だろうと思うわけです。例えば、日本は1941年にパールハーバーに奇襲を仕掛けてアメリカと戦争を始め、1945年に2回の原子爆弾を受けて戦争が終わった、というようなことはまあ常識として知っていなくちゃいけない。でもこうした歴史的知識を知らない人が増えている。しかも知らなくても大学に入れる。それなら覚える必要はない。でも、そうじゃないですよね。常識は知っていなくちゃいけないんです。国民がどんな常識を持っているかで、その国の文化レベルが決まってくるんじゃないでしょうかね。その意味で、インド古代哲学を研究する人がこの国には必要だということを、寅さんは常識として知っているんだと思いますよ。

――教養がないのは常識がないことですね。

 常識として持っていなきゃいけない教養というのがありますよね。そういう知識を持っていないことを恥じるというかな、そういう気持ちがなくなってきた気がしますね。昔、スノビッシュという言葉があってね、簡単に言ってしまえば、知ったかぶりをすることなんだけど、知識があることを自慢するという発想が今の若者にはあまりないんじゃないかな。日本と米国が戦争をしたことを知らなくても恥ずかしいと思うことがないですよね。

――常識がないと寅さんのセリフを面白がることもできないような気がします。

 寅さんが「さしずめインテリだな」と言って観客がワーッと笑うということはね、いろんな大事な意味があってね。渥美さんという俳優は、実は非常に知的な人なんです。大変な読書家だし、人間について、世界について深い教養を誰よりもよく持っている。誰よりも道理を心得ている。すべてを分かっている渥美さんが「さしずめインテリだな」と言っている。だから観客は「馬鹿だねえ」「どこが馬鹿なんだよ」というやりとりを聞いて、安心して一緒に笑うことが出来る。そんじょそこらの役者じゃ成り立たないんです。

――「インテリは自分で考えすぎますからねえ」というセリフも印象に残っています。第3作「フーテンの寅」で、好きな女に告白も出来ない河原崎建三の大学生に向かって寅さんが言うんですよね。

 そうそう、ありましたねえ。「自分の頭は空っぽだから、たたけばコーンと音がする」ってね。インテリはね、寅さんのことがうらやましいんだよ。インテリの頭の中は配線がゴチャゴチャだからね。あのセリフも、渥美さんが道理をわきまえた知的な人だから言えるんだと思いますね。

――山田さんもうらやましいですか。

 ハハハ。僕はね、渥美さんにこう言われたことがあるのよ。「山田さんはインテリですね」って。僕をからかってるんですけどね。「なんで? 僕のどこがインテリなの?」と聞いたらね、「山田さんはしつこいから」って言うんですよ。撮影現場で何度も何度もやり直しをさせるからなんですけどね。「映画の作り方がね、あきらめが悪い」って。「それはインテリだからなんですよ」と。「あたしなんかはすぐに諦めるね」と渥美さんは言うんだ。江戸っ子っていうのは、そういう傾向があるのかね。「だけど、ものを作る人にはね、諦めの悪さが必要なんですよ」と渥美さんは言ってた。そういうことを深い部分で理解しているんですよね、渥美さんは。

――渥美さんのような人が少なくなりました。

 昔、先代の柳家小さん師匠が落語協会の会長だった時、「会長の仕事は大変でしょう」と聞いたんです。そしたら小さん師匠がね、「いやあ、大したことはやってねえけどね、物事を決めるには理事会を開かなきゃいけないんだけど、話がややこしくなるとね、理事の連中はすぐ『もういいや、そんなことどうでも。早く酒飲もう』となっちゃう」と。

――私もややこしくてなかなか決まらない会議によく出席させられます(笑)。

 でもね、民主主義の議論っていうのはね、しつこく果てしなくやらなきゃいけないんですよ。「同胞」という映画の議論はそうでした。夜遅くなっちゃって、「議長、もうやめようよ」というセリフに観客はわーっと笑うわけだけど、その笑いってのは、「そういうことってあるよねえ」という思いと同時に、「やめろよ」と言いながらも最後の最後まで一生懸命議論することへの共感があるんですよ。

――果てしない議論は馬鹿馬鹿しいという思いと、でもその議論が必要だという思い。当時の観客は両面を理解していましたね。いまは馬鹿馬鹿しいという思いだけになりがちです。

 そうだねえ。最初から議論する気がないというかなあ。自分がこう決めたら何が何でもこれで行くんだ、議論は形ばかりでいい、というのが今の国会なんか見てるとそうなっていますね。少数の意見にも、ちゃんと耳を傾けて真摯(しんし)に考える。それが民主主義じゃないのかな。

――民主主義って、面倒くさくて格好悪いものなんですよね。

 そう。とっても効率が悪いんですよ。果てしなく議論しなきゃいけないし。安保法案なんて2年かけても3年かけても議論し尽くさなきゃいけないんじゃないのかね。うんざりするくらい議論しなきゃいけない。早く決めちゃいけない。延々と議論して、寅さんに「あんたたち、しつこいねえ。やっぱりインテリだねえ」とからかわれるくらいでないといけないんですよ。

――本当ですねえ。

 寅はちゃんとそういう果てしない議論を認めるんですよ。あくびしたり、居眠りしたりしながらね。強引に多数決で決めちゃえというのは、寅さんは「良くねえ」と言うんじゃないかなあ。「そんなこと言わないで、あいつの言い分を聞いてやれよ」とね。渥美さんという人がね、そういう人だったんです。大勢の人がいるとね、一番目立たない人のことをいつも見ている。その人がどういうことを考えているのかを想像するのが渥美さんは好きだったね。少数意見にこだわる人の気持ちを渥美さんは面白がっていましたねえ。

――民主主義の理想の形ですね。今日はありがとうございました。

(聞き手 編集委員・石飛徳樹)

以上引用。

 コトバによる認識や思考の限界を知り、一旦コトバから離れてみることと、コトバを否定して捨てることは、別だと私は思います。