一分坐れば 一分の功徳 一掃きすれば 一掃きの功徳

 朝、竹ぼうきで、家の前の道の落ち葉を掃きます。竹ぼうきで、最初地面に触れたときの感触から、色んな問いが生まれてきます。
 「こころ ここにあるか」「今を、手段にしていないか」「完璧を求めていないか」「思い通りにならないからといって、苛ついていないか」「自分の決めた予定や意味に、縛られていないか」
 地球にしてみれば、何処に落ち葉が落ち、掃かれようと、たいして意味はない。人間・私が勝手に決めた意味。むしろ、落ち葉の中のミミズには、迷惑。こうしている間にも、地球のプレートは動く。すべては流れていく。決まりきった不変の意味がある訳ではない。意味はない、だから、意味は、仮に創り出す。
 一分坐れば 一分の功徳 一掃きすれば 一掃きの功徳
 あなたとの一触は 永遠のひとふれ。
花、アウトドア、テキストの画像のようです