曲がりくねって 父母の恩

「人は、なぜ争うのか? なぜ苦しむのか? 何のために生きるのか?」 ものごころついた頃から、そんなことを考える変な子どもでした。
 それは、家庭環境の影響大。夫婦喧嘩の絶えない家だった。怒号の中を、モノが飛び、涙、涙…
 中学生の頃、夜に「何のために生きるのか?」と考えると、寝付けなかった。出てくる答えを、次から次から否定した。「お金、名誉、幸せ? いつか老いて、必ず死ぬ、虚しい・・・」
 でも、考えながら寝てしまい、朝になって思った。
「答えの出ないまま、朝はやってきた。草木は、伸びている。心臓は、鼓動し、血が流れている・・・」
 問いは、なぜ生きるから、どう生きるに代わった。
 考えること、瞑想することが、日常になったのは、喧嘩していた父母のお陰、恩。 (写真は、ウツギ)
アウトドアの画像のようです