生命の文脈を読む

思想、理論、技術(具体的生活)は、論理階型を作っています
 
「今日をどう生きるか?」を考えるとき、
ついばたばたと、習慣で動いてしまうという傾向もありますが
充実して、ああ生きているという実感を伴って生きるには
自分の思想、理論、を確認、自覚して、具体的な生き方を決定することが必要になります
  
又、人は一人では生きられないので、こんな生き方をしようよと提案するとき
なぜそういえるのかをきちんと説明できたり、
思想や理論だけでなく、具体的な生活法も伝えねばなりません
  
この作業がめんどくさい人や、力量のない人は
「あるがままでいいんだよ」「お互いの自由を尊重しましょう」なんていったりします
 
「持続可能な文明生活」って、具体的にどういうことなのか
石油に代わって、何をエネルギーにするのかを考えたとき
「工業の農業化」という言葉に出会いました
 
地中から掘り出した石油や石炭に頼るのではなく
地球に降り注ぐ太陽エネルギー、(植物エネルギーや風力)を使うようなのですが
集団の生活のあり方についての提案の場合、政治が絡んできます
(石油や石炭も元をただせば、太陽エネルギーでしょう)
 
人間と自然の関係をどう捉えるか、が気になりました
  
そこで、少しさかのぼって
マルクスエンゲルスはどう捉えていたのだろうということにも興味がわきました
 
この問題は少し厄介です
マルクスマルクス主義者ではありません
マルクス主義者=マルクス主義政党=社会主義国でもありません
 
マルクスマルクス主義という誤解からほぐしていかねばなりません
 
一つの高い山が見えています
 
あの山に登れば、別の展望が見えることがわかっているのですが
さて、それだけの体力が残っているかどうか