冗長性 論理階型 クラスわけ 目的論 システム論 思想・理論・技

<冗長性>
   
ドップラー効果」という現象があります。
救急車のサイレンの音が、近づいてくるときと、遠ざかっていくときとでは、同じ音源であるのに、違った高さの音に聞こえる現象のことを言います。
 この現象を元に、宇宙全体は、ものすごいスピードで拡大しているのだという仮説があります。
    
 その仮説によると、現在も宇宙は拡大しているのですが、「このままどこまでも拡大し続けるのだ」という説と、「いつかある時点で、収縮がはじまるのだ」という説があります。
   
 人間の一生に比べて、とてつもなく大きな時間単位の出来事なので、観察して確かめるわけには行きません。
 どこまでも拡大し続けているという一回性の出来事なのか、拡大と収縮を繰り返しているという繰り返しなのか、私たち人間には、確かめようがありません。
   
 同じく、宇宙の観察から導かれた、恒星の一生についての仮説があります。
又、それに付随して、私達が住んでいる地球がどのようにして出来上がったのかという仮説があります。
   
 恒星は、水素同士が核融合して、ヘリウムに変わっているようです。恒星にも寿命があって、自らの重みで、いつか大爆発を起こすようです。そのときに、更に核融合が進み、ヘリウム以外の色々な元素が生まれます。
 恒星の爆発で出来た塵が宇宙空間を漂い、お互いに引き寄せ合って、衝突し、地球のような惑星が出来たといわれています。
   
 生まれたばかりの地球は原始地球といわれ、火の玉のようなマグマの塊です。
 やがてマグマが冷え、地表の膜が出来、原始の海が生まれます。
   
 その後原始の海に、最初の生命体が生まれます。コルセルベートと言われ、紫外線の影響を受けない深さのところで生まれます。そのうち、生命に害を与えていた太陽エネルギーをエネルギー源とする葉緑素を持った生命体が生まれます。いわゆる光合成を行い、酸素を発生させます。
   
 次には、この酸素をエネルギー源とする生命体が生まれます。
 酸素は大気を作り、降り注ぐ紫外線の力を弱め、その結果海中だけでなく、海表面や陸上でも生命活動が可能になります。
   
 地球が誕生して約46億年といわれていますが、原始の海が生まれ、以後生命体の進化があって、現在のような姿になっていると言われています。
   
 地球と同じような惑星がこの広い宇宙のどこかにあるだろうと想像することは出来ますが、実際には観察されていません。
    
 この宇宙に起きている出来事は、すべて一回性の出来事だと思います。
 しかし、その数限りない一回性の出来事を観察し、パターンを見出そうとしたとき、同じような繰り返しに見えることがあります。
    
 同じように繰り返すことを「冗長性」といいます。
因みに、国語的には、だらだらと続くことを冗長性といい、機械工学においては、待機回路や並列回路のようなバックアップシステムのことを言います。
   
同じように繰り返すことを、かつては法則性といったのですが、法則性といえば、人間の観測とは関係無しに、宇宙に元からそのような法則性が存在するかのような誤解を生んでしまいます。
   
 法則性とは、あくまで人間が見出したパターンのことなので、実際に観察される同じような繰り返しのことを、法則性とは言わず、冗長性といいます。
    
<生命の文脈を読む 瞑想・自覚 思想(目的)・理論・技法 習慣で生きない>
   
 宇宙の出来事が一回性の出来事であれ、そこにパターンを見出すのであれ、そこに目的性を仮定するか、認めないかという態度決定があります。
   
 近代科学は、目的性を否定してきました。
 そもそも科学とは、予測と制御の為の理論群であって、宇宙で起きている出来事に、目的を仮定したり、価値を見出したり、意味づけすることを否定します。
   
 近代科学は、宇宙の出来事に、思想や物語を認めません。もちろん神や神々を認めません。
   
 以下は、2006年に唯物論を信奉するある有名人が語った言葉です。
  
<< 生命とはなにか。「生命とはたんぱく質の存在のしかたである」。意識とはなにか。「人間の意識とは高度に組織された物質である脳髄の機能である」。
 
 すべての生命体は、核酸という物質が、たんぱく質をつくる独特の仕組みをつくりあげていること、この核酸が遺伝子(DNA)の実体をなし、あらゆる生命活動を支配していることが、明らかにされました。これは、生命の唯物論的な実態が明らかにされたということです>>
  
近代科学によれば、心も魂も、たんぱく質の存在の仕方から生じた分泌物や付随現象に過ぎません。
   
そのことに反発した人々は、神秘主義を復活させました。
  
全体論 システム理論 目的論 >
  
宇宙の森羅万象に、思想性や、目的性や、意味や価値を認めるには、神秘主義しかないのでしょうか?
 私は神秘主義でなくても、宗教でなくとも可能だと思っています。
   
 論理階型、システム理論 、認知理論、公理系によって可能だと思っています。
   
 唯物論者が言うように、<客観的には>宇宙には、目的性や物語性はないのかもしれません。
  
 しかし、人間は、物語性や目的性を仮定して生きていく存在であり、
 少なくとも、私は、物語性、文脈性を仮定して、この世界を見ています

 (瞑想実践を日常生活に取り入れることなく、習慣性で生きている人を見ると、確かに、人間とは複雑な反応機械の様な印象を持つことも確かではありますが)