<生命の文脈を読み、私の人生という小説を書く>

<生命の文脈を読み、私の人生という小説を書く>
 グレゴリー・ベイトソンが言いました
 石を蹴飛ばせば、石は物理法則にしたがって、飛んでいくだろう
 もし、犬を蹴飛ばせば、物理法則とは違った仕方で反応する
 
 この世界には、物理法則に従って存在し、変化するものと、それだけではない「生命」が存在しています。
 
 生命、精神、意識とは一体何なのでしょう?
 
 私たちは、変化して止まないこの世界の森羅万象から、その変化の文脈を読み取り、私の人生という小説を書く存在であると思っています。
 
 生命とは何か? 死とはなにか?  豊かさとは何か?幸せとは何か?
 何故、そしてどう生きるのか?
 そういったテーマをちりばめた小説です。

 生命の文脈という表現をしましたが、普遍的な生命の文脈と言ったものがあるとは思っていません。より普遍的と感じられる文脈や、より共感を読む文脈はあると思いますが、各自が見出す各自の文脈だと思っています。
 「生命活動に文脈などない」というのも一つの文脈だと思っています。
 
「瞑想」と「瞑想に基づく論理的思考」は、生命の文脈を読む行為だと思っています。
 
読み取られる生命の文脈は唯一ではないでしょう。逆に、それを元に書かれる「私の小説」というのは、唯一のものでしょう。
 
ただ、唯一だからといって、楽しく内容のある小説、共感を呼ぶ小説とは限りません。
少なくとも、私自身が読んで納得のいく私自身の小説を書きたいものです。
 
だらだらと書いてしまったり、他の人に迎合して、ライフスタイルを変えたりと言うこともありえます。
 脇役となる人や、準主役となる人々の小説とも関わって、私の人生と言う小説は書かれいるので、そういった人々とのコミュニケーション技術も大切になってきます。
 
クライマックスはまだまだ先だと思っていたりすると、だらだらした文章になりがちですし、
いつもいつも一期一会というのは、余裕がない文章になったりします。