親は無くとも子は育つ?

 「親はなくとも子は育つ」という諺があります。親がいなくても、あるいは立派とは言えない親であったとしても、子どもというものは育っていく、という意味だと思いますが、この諺の内容や妥当性は、時代と共に変化していると思います。

 

実際の子育てが、両親だけではなく、祖父母や親類、地域社会が関わっているならば、諺通りでしょう。核家族となり母親の肩に、子育ての多くが係っている状況において、母親が子どもにきつくあたってしまったり、あるいは疲れてしまい放棄してしまったり、極端な例では虐待や心中という事態にまでなったとき、<「親はなくとも子は育つ」のに、子どもを私物化、道具とした、充分な対応をしなかった>と母親を批判するのは酷だとおもいます。  
 
 今も昔も、世界中で、自死、自殺はあります。しかし、一家全員が心中するというのは、かつては日本特有の現象だったそうです。(最近韓国で増えていると言われています。人口10万人に対する自殺率、韓国29.1日本20.9 2012年の統計) 日本固有と言っても、飛躍的に増大したのは、大正時代の末だそうです。明治以後の近代化により、大家族制が崩壊していく流れの中で、突出してきたようです。(山名正太郎「日本自殺情死紀」)
 
 精神分析を知った子どもたちは、暗闇を切り拓く剣を得た感じになると思います。同時に、怒りの矛先を、親に向けがちなように思います。でも、理想通りの立派な親の元に生まれることは、奇跡に近いようにも思うのです。確かに、叱られ、叩かれ、あるいは無視され、誤解され、道具にされ、心の中に風穴があくこともあるでしょう。親自身もそのように育ったのです。

 そして、深いゆるしの風は、その穴から吹いてくるように思います。