鳥のように様には空を飛べないこのからだ、1日食べないと力が抜けるこのからだ、草を食べても、木を食べられないこのからだ、触れたがり、触れたいと思うこのからだ、やがて歩くこともできなくなるこのからだ、一旦言葉を覚えると、他の言葉を学ぶのが難しいこのからだ・・・
「制約だらけのこのからだ」と思ってきたけれど、この前、吐いたり、ひどい下痢をしたのは、「病気」なんかじゃなく、実は自分にも分らない「生命力」のおかげだと思う。
世界中の仲間と自分を比べたとき、随分育った環境の文化を背負ってしまっていると思う。自分は虫が美味しいと思うが、気味悪がるものもいる。一緒に暮らしているものの都合に合わせて、自分のルールもつくりかえた。生きていくには仕方のないこと。
遺伝に縛られ、育った文化に縛られ、とも思っていたが、確かにそれはそうだが、木から木へジャンプする時、遺伝の力のすごさを思う。
前世? そりゃ、物語としてはおもしろいね。かつては鳥だったんじゃないかと思うこともあるし、来世はいっそ風になりたい。「独り行く旧参道や木の芽風」ってね。でも、しなやかなからだの触れあいやダンスも捨てがたいなあ。
救いがたい私だけど、自力他力を越えて、生かされつつ、同時に好きなように生きている。ありがたいねえ。寂しいねえ。