7月26日に「絶頂(歓喜)ヨーガ」のワークショップを開催します。

NPO 熊野みんなの家 集い講座 第67回  2014.7.26
黄金より慕わしく蜜より甘い 「絶頂(歓喜)ヨーガ」

 「絶頂(歓喜)」を味わうには、<努力>も<修業>も要りません。 なぜなら「絶頂(歓喜)」は、私達に<無条件>に与えられる恩寵・慈悲だからです。 なかでも、この世界への誕生と世界からの旅立ちは、「絶頂(歓喜)」そのものでしょう。 (みんな必ず体験します。)
ただ、「黄金より慕わしく蜜より甘い絶頂(陰陽和合・歓喜)」を、私達は大人になる過程で忘れてしまいがちです。
 「絶頂(歓喜)」から遠ざかる努力を、知らず知らず、良かれと積み重ねていたりします。 
絶頂(歓喜)ヨーガは、そのような要らぬ努力を止めてしまう安楽のヨーガです。
前々回(65回)の寝ながらヨーガ、前回(66回)の対話ヨーガと同じく、寝たままで、ゆったり少しだけ動くヨーガなので、障害や病気などを抱えていてもできます。

日時 7月26日 土曜 午後2時より 
場所 那智勝浦町市野々3987 
NPO熊野みんなの家 
0735−30−4560
参加費 1000円 タオルをご持参ください
講師 認定心理士柔道整復師 阪口圭一 
090−6987−6679
    http://facebook.com/K1Sakaguchi

私の絶頂

体験
今から三十数年前私は、東南アジアを、放浪の一人旅をしていました。タイの首都バンコクで、赤痢になりました。頭とお腹に棒を突っ込まれ、かき回され、絞り出すような激痛に襲われました。
その激痛の果て、私は「ああこのまま死ぬんだな」とおもいました。その時、私の絶頂は訪れました。優しく柔らかな大地に埋もれた感じになり、激痛が突然止まり、深い安らぎの中にいました。
死んだもの、と思っていたのに、気がつけば安宿のベッドの上にいました。「一切皆苦」の絶望の果ての慈悲でした。

<生かされて生きている>
 私はかつて赤ちゃんだった。 見えず、歩けず、話せず、自分の便を自分でどうすることもできず、ただ泣くだけ。それでも今、こうして生きている。 私はこれから老人になっていく。やがて見えず、歩けず、話せず、自分の便を自分でどうすることもできない日が、必ずやってくることだろう。 かつてただ泣くだけの赤ちゃんだったことを忘れ、やがて身動きの取れない老人なることを忘れている日々。 今も、布一枚、塩1?、テッシュペーパー一枚、自分一人では作れないのに、自分一人で生きているつもりになっている。 寝転がって、赤ちゃんになってみる。 寝転がって老人になってみる。 光・風・空気・水・physis、温もり、繋がり。無条件に与えられている恩寵・慈悲・「絶頂」 空青し、山青し、海青し。 生かされて、生きている。