ヴェルサイユからサイバネティックスへ

「歴史を学ぶ」「歴史を読む」「歴史と向かい合う」ということについて、私の眼を開いてくれたのは、学校の授業でもなく、歴史書でもなく、史観論書でもなく、「学習」「階層性」「システム論」を学ぶために読んだグレゴリー・ベイトソンの「精神の生態学思索社 1987 (新思索社 2000) です。
 
「第6部 精神のエコロジーの危機 ヴェルサイユからサイバネティックスへ」を読んだとき、歴史への眼が開かれた感じになりました。
 
(( 新思索社2000では、第6篇 文明と健康(今世紀に起こったもっとも重要な二つの事件―ヴェルサイユからサイバネティックスへ)となっています。))
 
この文章は、1966年4月22日に、カリフォルニア州サクラメント・カレッジで行った講演「From Versailles to cybernetics.」の内容です。
 
ベイトソンはカレッジの聴衆に語ります。(以下本より抜粋引用)
 
< ヴェルサイユで1919年に何が起こったか知っている人は、みなさんの中にどれくらいいるでしょうか。
 ここ60年ほどの歴史の中で、将来何が重要だったということになるだろうか―これが私の提示する問題です。私は62になりますが、これまで生きてきた間で人類学者の目から見て本当に重要な歴史的瞬間が何だったかと問われると、二つしか思い当たらないのです。ヴェルサイユ条約の締結に至る一連の出来事が一つ、>(678頁)
  
< 我々はみな、関係のパターンに心を砕いている。面と向かった相手との間に結ばれている愛や憎しみや尊敬や依存や信頼等々の抽象の中のどういう位置に自分が置かれているのか、これは哺乳動物として生きていくのになによりも重くのしかかってくる問題です。この点で相手から欺かれるのは、誰にもつらいことです。あることを信頼していて、それが信頼に値しないことが分かったとき、あるいは不信の念を抱いていたものが実際は信頼に値することが分かったとき、我々は感情的にダメージを受ける。この種の間違いから人間と哺乳類の同胞が、時にどれほどの苦しみを受けるか、それはもう他の苦しみの比ではないと思います。だとしたら、歴史のなかに重要な転換点を求めるときには、関係性の中でわれわれの「構え」(attitude)が変化した地点を探すのではなくてはならないでしょう。人々の間に、ある価値体系が定着していて、その価値が裏切られるゆえに苦痛が生じるという地点です。>(679頁)
     
< ヴェルサイユ条約の成立のいきさつをお話しておきましょう。話としては簡単です。ドイツの敗北が誰の目にも明らかになってきてからも、戦争はなかなか終結を見ないでいた。そのときジョージ・クリールというPRの専門家が、ひとつの策を考え付いたのです。この人物の名は、ぜひ記憶しておいていただきたい。現代PRの創始者ともいうべき男です。緩やかな講和条件を提示すれば、きっとドイツは降伏してくるだろう―これが、彼の考え付いたアイディアでした。こうして、懲罰的な措置を全然含まない、十四箇条の案が彼の手で作成され、ウィルソン大統領のもとに届けられました。誰かを欺こうとするときには、正直者を使いに立てるのがはなはだ効果的なわけです。ウィルソン大統領の正直さといったら、これはもうほとんど病的なほどで、加えて彼は人道主義者でもあった。この十四のポイントを、彼は繰り返し力説しました。「領土の併合も、賠償金の徴収も、懲罰的な措置も」ないであろう、云々。ドイツはとうとう降伏してきました。>(680頁)
   
  
実際はどうであったか、
アルザス・ロレーヌをフランスに、ポーランド回廊をポーランドに割譲。ポーランド回廊とはドイツ本土と東プロイセンの中間地帯で、ポーランドに海への出口を与えるためにポーランド領としたので、ドイツは本土と東プロイセンが分断されることとなり、ドイツは戦前の面積・人口の10%以上を失うこととなり、さらに海外の全植民地も失いました。
 さらにドイツは巨額の賠償金を課せられました。総額が1320億金マルク、当時のドイツのGNPの20年分に相当します。結果、ドイツではインフレが進み、1923年には、これまでの通貨の2940億倍、卸売物価は、1兆2600億倍になりました。6時間たてば、マルクの購買力は、三分の一から二分の一になったといわれています。
 
< これは、我々の文明史上、最も悪質な裏切りのひとつだと言っていいでしょう。平和のための会議が、そのまま次の大戦の直接的、必然的な引き金になったという、恐ろしい例です。いや、第二次大戦の火種を作ったことよりも、ドイツの政治からモラルというものをほぼ完全にぬぐい去ったことのほうが、意味は大きいだろうと思います。>
 
< 世の中への「構え」が変化するわけです。ヴェルサイユの背徳が、ドイツ人の恨みを買い、結果的に第二次大戦を招いたというだけでは不十分です。重要なのは、一国の国民へのあのような仕打ちが、彼らのモラルを崩壊させるだろうことが、最初から予見できたという点です。一方の側のモラルが低下すれば、それと争う側のモラルも低下することは免れません。この意味で、私はヴェルサイユ条約が、道徳的なセッティングにおける重要な転換点だったと述べたわけです。>(681頁)
 
< いま現在のルールの中でどう動くのがベストかということを思い悩むのではなく、過去十年、二十年、われわれを縛りつけ動かしてきたルールからどうすれば抜け出せるのかということを考えなくてはならない。問題はルールの変化なのです。>(683頁)
    
一時期、私は、歴史の流れに法則性を見いだそう、と思ったことがありました。またそういう史観に魅かれたことがあります。法則性を見出し、混沌とした出来事の中にも、意味があるのだ、と思いたかったのです。
 
 今の私には、歴史の流れに、法則性があるのかないのか、わかりません。あるとしても、無いとしても、意味は創りだせると思っています。
< 他人に善を施すものは、具体的な細部においてそれを為さねばならない。一般的な善とは、ならず者、偽善者、おべっか使いの言い抜けである。>(677、684頁)とありました。
 
 具体的な細部において、私は私に与えられた可能性を、開いてみようと思っています。