思うようにはならないけれど、寄り添って生きる

 有無を言わさず、時と社会の流れは、あれよあれよと流れ、うねり、変化していく感じがします。その中で、翻弄される一人一人の人間。
 
そういった感覚を瞑想によって、「私」を大河の中の一本の杭であるかのように捉え、時の流れ、社会の流れというものが、未来から杭である私に向かって流れて来、流れ去っていく感覚に変え、翻弄される感覚を避けることができます。

それにしても、未来のことはその字のごとく、いまだやって来ない世界であり、過去は過ぎ去ったこと、私は一本の杭として起こり来ること全てを受け止め、今ここを生きる他ありません。

 あらゆる出来事は、一回性のことでしょうし、同じことは起こらないでしょうが、過去を振り返り、未来からやってくる出来事を予測し、心構えを作ることはできるような気もします。
 
 世界的な不況に加え、地震津波原子力発電の事故、今後経済的には多くの日本人にとって厳しくなるだろうと思っています。(もちろん、余り生活の変わらない人や、むしろ経済的に潤う人もいることでしょう。)
 
 そんな時に、私が未来を予測し、心構えを作る為に、振り返る過去として、第一次大戦前後のドイツがあります。
 
 降伏を受け入れる前には、「賠償問題も領土分割もない」と戦勝国側は述べていました。
 しかし、降伏が現実となった時、ドイツは膨大な賠償が課せられました。

 第一次大戦後、ドイツ国民は賠償問題や領土問題もあって、その生活は厳しいものになりました。1914年と1923年の1ドルの交換レートを比較すると、実に1兆倍のインフレとなりました。その中で、当時世界で一番民主的な憲法であるといわれたワイマール憲法のもと、選挙を経てナチスが国民の支持を得て勢力を伸ばします。
 
 しかし、その先には、第二次世界大戦がありました。

 経済学者、政治学者、歴史学者、心理学者など、なぜナチスが勢力を伸ばすことになったのか色々な見方があります。色んな見方がありますが、理由がどうあれ、ドイツ国民が支持をしたことはその通りだと思っています。
 
 恥ずかしながら、私は世界史については、大学受験のための一科目としか受け取っていませんでした。
 
 そんな目を見開いてくれたのは、歴史の本ではなく、「精神の生態学」下 G・ベイトソン著 思索社 です。

以下、同書からの引用です。

 <あることを信頼していて、それが信頼に値しないことが分かった時、あるいは不信の念を抱いていたものが実際は信頼に値することが分かった時、我々は感情的にダメージ受ける。(679頁)>

 <ヴェルサイユ条約の成立のいきさつをお話ししておきましょう。話としては簡単です。ドイツの敗北が誰の目にも明らかになってきてからも、戦争はなかなか終息を見ないでいた。そのときジョージ・クリールというPRの専門家が、ひとつの策を考え付いたのです。この人物の名は、ぜひ記憶しておいていただきたい。現代PRの創始者ともいうべき男です。緩やかな講和条件を提示すれば、きっとドイツは降伏してくるだろうーこれが、彼の考え付いたアイディアでした。こうして、懲罰的な措置を全然含まない、十四条の案が彼の手で作成され、ウィルソン大統領のもとに届けられました。誰かを欺こうとするときには、正直者を使いに立てるのがはなはだ効果的な訳です。ウィルソン大統領の正直さと言ったら、これはもうほとんど病的な程で、加えて彼は人道主義者でもあった。この十四のポイントを、彼は繰り返し力説しました。「領土の併合も、賠償金の徴収も、懲罰的措置も」ないであろう、云々。ドイツはとうとう降伏してきました。(680頁)> 

 <歴史の中に重要な転換点を求める時には、関係性の中でのわれわれの「構え」(attitude)が変化した地点を探すのでなくてはならないでしょう。人々の間に、ある価値体系が定着していて、その価値が裏切られる故に苦痛が生じるという地点です。(679頁)>
 
 かつて、原発からは放射能は漏れないということを、電力会社も、学者も、政府も言い続けてきました。それが今では、放射能は少々なら浴びても大丈夫とか、むしろ健康にいいとか、洗い流せばいいという時代になってしまいました。汚染水は、今日も地下に流れ、海へと流れています。知っていても、どうしようもありません。どうしようもないことについては、無感覚になるのがいい、という構えに、ある人々はなったように私には思えます。
 
 <父ら苦き果実を食し、子らの歯 いたむ。(677頁)>

 第一次大戦後、戦勝国側に欺かれたドイツ国民は、ナチスを支持したのです。
 さて、日本に住む人々の群れは、これからどこに向かっていくのでしょう?
 そして、私もその群れの中にいます。