そっと触れるということ

 絵を描くのが得意な人は、簡略な線をすいすい描き重ねながら、絵を描き上げていくことができます。私は絵を描くのが不得意だったので、そういう描き方にあこがれていました。
 
 自身絵を描くことが楽しめるようになり、ああ言った簡略な線は、精密な線を何度も描いた後に、全身を使ってできることだと思うようになりました。
 
 そうなると同じようなことが別のジャンルで思い当たることがあります。
 
 マッサージの基礎として、初心者は軽擦法から始めたりします。軽くそっと表面を撫ぜていくようにマッサージします。経験を重ね、色んなやり方を知ったのちに、軽擦法を行う場合、初心者の軽擦法と経験者の軽擦法は、同じように撫ぜていて、同じではありません。
 
 経験者の軽擦法は、表面近くに触れながらも、もっと深いところを感じつつ、弁別しつつ行っています。初心者の弁別は、基準が一定しています。経験者の弁別は、自ら基準値を設定しながら行っています。
 
 絵手紙を描いている人々の間で「下手でもいい」「下手でいい」「下手がいい」といっているのを聞くことがあります。たしかに、それはそのとおりでしょうが、同時に「上手ならもっといい」を含めたいと思います。
 上手とは、ひとつに、弁別の基準を自分で設定できるようになることと思っています。
 
 「相手の体に直接触れることなく、気を送ったり、気を感じたりしている」と説明する気功家がいたりしますが、経験者は、軽擦法で触れている時、同じように、直接触れてはいないところを感じていたりします。
 
 また、昔風の言葉づかいをすれば、初心者の軽擦法は、「腰が入っていない」ことが多くて、気が込められていないことが多いです。経験者の軽擦法は、腰が入っており、気が込められています。 「腰が入っていない」ということを別の表現すれば、からだのより末梢的な部分だけで仕事をしようとしているということです。より末梢だけで仕事をすると、呼吸との調和を作ることが難しく、呼吸の深さから来る、気の流れやリズムを活かせません。