居直る 開き直る 盆の禅

「居直る」という言葉は、今は悪い意味で使うことが多いように思います。
辞典を引いてみると
     
「急に態度を変える。不利の立場にある者が、急に脅すような強い態度に出ること」
change suddenly to a threatening attitude
とありました。
      
「逃れられない立場を悟り,強い態度に変わって相手に向かう。」ともありました。
    
しかし私は、
「座り直して姿勢を正す。居ずまいを正す。」
sit up properly [straight]
が本来の意味ではないかと思っています。
 
「開き直る」にしても、
      
「観念してふてぶてしい態度に出る」
「態度を改め、まじめに応対する」
のいい意味悪い意味両方で使われますが、
     
「覚悟を決めて、正面から立ち向かう」というのが、本来ではなかったかと思うのです。
     
まあ、言葉の使い方は人それぞれです。
    
居直る、開き直る、という時、何に対して居直る、開き直るのでしょう。
      
世間、他者でしょうか?
 
私は、「世間を必要以上に気にする自分自身に対して」居直ることを、
「私の居直るという言葉の意味」にしようと思っています。
 
世間と自分を、分けて考えている訳ではありません。
 
世間と切り離したところの自分なんて考えられません。
 
だって、一瞬一瞬、私が創ったわけでもない光を浴び、空気を吸い
三度三度の食事を得られていますから。
 
ただ、ついつい、必要以上に、世間の目とか関わりを気にしてしまいます。
 
どの程度気にするのが、適度なのか、それが難しいです。
 
暑いからといって、何処でも裸で居ていい訳ではないです。
 
一夫一婦制なんて、ある時ある場所での限定的ルールとは思っていても
ルールのない社会生活も考えられません
 
だから、別にフリーは望まないけれど、
センシティブではありたいと思っています。
 
世間という壁にボールを投げると、ボールは帰ってきます。
 
ボールがどのように帰ってくるかは、壁の状態だけで決まるのではなく
 
自分の投げ方も大きな要素です
 
なかなか自分の投げ方やその程度を気付くことは難しいように思います
 
自分では、少し回避気味に世間と関わっていると思っているのですが
 
他の人から見れば、もう少し回避気味に関わったほうが良いと思われているかもしれません
 
居直るにしても、居直り方に色々な段階があることでしょう
 
世間の目を気にするのは、多くは、自分の生命維持が目的だと思います。
 
でも、いつまでもこの命が続くわけではありません。
 
「避けられない、逃げられないと覚悟し、正面から向き合う。」
 
「死ぬ」ということがそうです。
 
普段は回避するのがいいでしょう。
 
でも時々は、開き直って、死と向き合うことも必要でしょう。
 
時々開けていないと、蝶番が固くなります。
 
 
「居直って壁貫けていく盆の禅」