自己刺激行動 独詠

自己刺激行動 stimming, self-stimulatory behaviorといわれる「行動」があります。
    
自閉的傾向のある子供たちが、体を前後に揺すり続ける「ボディロッキング」とか「手のひらひら行動hand flapping, flapping arms 」のことを指すようです。
     
リズムのある反復運動という特徴から
「貧乏揺すり」も自己刺激行動であるという人がいます。
     
また、その行動の目的や効果から、リズムのある反復運動で心身の安定をもたらす働きのあるモノならば、それも自己刺激行動と云ったりします。
      
例えば、「呼吸法」が挙げられます。
      
リズムある反復運動は、過剰な情報を制限する働きがあるようです。
感覚に没頭することが、ストレスの軽減につながります。
      
ですので、「ゲーム」にも、同じような働きがあるように思います。
他にもいろいろ考えられるでしょう。
      
グルグル同じところを回ること、ジャンプし続けること、皮膚をかくことなど。
      
かつては、この自己刺激行動を制限したり消去したりしようとした時期があったようです。
     
制限しようにも、本人にとっては、ストレスを軽減し、心身の安定をもたらす行動ですので、制限するとかえって心身の動揺が大きくなったりします。
     
それで今は、制限ではなく「弁別」するようです。
     
他の自己刺激運動に置き換えたり、相応しい時や場所で行うようにするのです。
 (脅迫行動になっていると診断された場合は、薬の処方という方法もあるようです)
     
この夏の大学のスクーリングの「行動療法」の授業のレジュメに
     
自閉性障害の方への関わりのポイント として
     
○簡単で分かりやすい言葉ではっきりと伝える
○ルールを明確に伝える(集団、社会のルールなど)
 丁寧に、わかりやすいジェスチャー、サインなども取り入れる
 怒鳴ったり、無理強いはしない
○話してくれることを黙ってしっかりと聞く
○こだわりを認める
○予定の変更、いつもと違うことは、余裕を持って事前に伝える
○不適切な行動(自傷、他害の行為など)は、
適切な行動に置き換えていけるようにする。
        
とありました。
これは、すべての人間関係に言えることです。
 
 
通常は、例えば会話などをするとき、私達は、様々な音の中から、相手の声だけを切り分けて、聞き取ります。子育ての最中、隣の部屋に寝かしている幼子の微かな声とか寝返りの音などを親は聞き分けたりします。船の機関士の人などは、他の人にとっては雑音に聞こえるような音が、エンジンが歌を歌っているように聞き取ったりします。
    
 自閉性の傾向のある人の聞こえ方として、すべての音が同時に交じって聞こえたりするようです。ある人は、それを視覚に置き換え切り分けたりするようです。
 
何でもないような音の風景が、自閉性の傾向のある人にとっては、音の洪水だったりするわけです。
      
よく注意して、自分自身や他の人を観察していると、人はそれぞれがそれぞれの音の聞き方をしているようです。それぞれが、それぞれの仕方で、世界を切り分けています。その切り分け方には、それぞれのこだわりがあります。

    
私達一人一人に見えている世界、感じられている世界は、同じではないのでしょう、同じか同じでないか、確かめようがないのだろうと思います。
 
例えば、目を閉じたまま、まぶたの上から眼球を押してみます。すると、暗闇の中に色のついた幾何学模様があらわれては消えていきます。
 
今説明したようにしてみれば、「同じような体験」ができるかもしれません。
 
しかし、自分の瞼の裏、あるいは視神経が作り出している幾何学模様と、同じような動作をしてその人の瞼の裏に現れる模様と、同じかどうか、どのようにして確かめたらいいのでしょう。
 
絵にかいて再現して書いたところで、それは紙に書かれたものであって、瞼の裏ではありません。
 
確認できることは、押せば何かが見えたということであって、同じように見えたということではありません。
 
 
恋人のカップルが、一個の林檎を食べている。
彼女がかじっていう「この林檎甘酸っぱくて、とてもおいしい。」
彼も同じ林檎をかじる。「ほんと、甘酸っぱくておいしい。」
 
「甘酸っぱい」「おいしい」と使っている単語は同じで、リンゴをかじってそう思ったということは確認できる。
 
しかし、彼の甘酸っぱいと彼女の甘酸っぱいは、同じなのか?
 
 
「同じなのか」と疑う理由、目的はなんだろう?
 
日常生活の中では、二人一緒に甘酸っぱいと感じ、おいしいと感じれば、それ以上のことを問うことはふつう必要ないでしょう。
 
しかし、長い人生を共に生きていくのなら、一度、同じとはどういうことか、同じでないとはどういうことかについて、二人で考え自覚しているに越したことはないと思います。

 
「一人一人の中に、その人だけの世界・こだわりがある。」
同時に「その世界は、色々な縁があって成り立っている。」と。
 
同じであるということと、響きあえるということの違いを自覚するといってもいいかもしれません。
 
そして、そのこと自体が話し合っても、通じないかもしれません。
 
通じないときは、とりあえず沈黙するしかありません、あるいは独りで詠うがいいでしょう。
 
そうやって、人は生きてきました、詠ってきました。
 
詠えば、同じでなくとも、響きあうことはできます。