初心俳句会 死を見つめる

「利権」は、英語ではしばしば
Interestという単語で表現されます。
 
利権の利をという漢字からイメージされる熟語に「利益」があります。
 
利益を英語辞書で調べてみるとprofit となっていて
interestを和英辞典で調べてみると、利権、利子となっています。
 
「利権に群がる」とは、現実社会を見てみると、
権利と利益に群がるのではなく
「権利と利子に群がること」と飛躍してもいいかもしれません。
 
利益に群がることと利子に群がることの違いを説明すると
 
元々、公共事業というのは、
人間生活にとって必要かつ大事な事業ではあるけれど、あまり利益につながらない事業は一般企業はやりたがりません。
そこで、行政がその事業を行うので、公共事業といいます。
 
ところが、利益につながらない公共事業が、利権が群がる事業となっています。
 
それは、ひとつに「利子」が生まれるからです。
「利子」を目当てにする側からすると、利益を生み出さない事業のほうが良いのです。
 
大きな箱モノを建てるとか、土地開発公社が土地を取得するとか
その周辺には、利権屋が群がっています。
8億円の建設費で済む焼却炉が、40億円もかかったりします。
 
公共事業ではないけれど、原発にも同じ構造がみられます。
 
事業費が高くなれば高くなるほど、本来は利益につながらないはずが
 
利子を生みます。それが、電気の場合、利益につながります。
 
 
それほどまでに、どうして人間は利権に群がるのでしょう。
 

話を大きく飛躍させると、私は「死への恐怖や不安」への拮抗対策として
利権への群がりがあると思います。
 
ある流派の心理学では
不安に拮抗するものとして、
「摂食行動」「性的覚醒」「自己主張行動」「睡眠」「ユーモア」「ウィット・リラクセーション」などをあげます。
 
Keyword Project+Psychology
http://digitalword.seesaa.net/article/21520843.html
というHPには、

ウォルピが病的な不安感や恐怖感と拮抗して逆制止を引き起こすことが出来ると考えていた感情反応・身体反応には、「快楽的な性反応・賞賛や非難など強い自己主張・筋肉と精神を弛緩させるリラクセーション」がある。

つまり、性的に興奮していたり、相手に対して強い自己主張をしていたり、筋肉をリラックスさせている時には、恐怖感や不安感が逆制止されて恐怖・不安の情緒を感じることがなくなることを示している。

不快な感情反応を逆制止する拮抗反応(反対感情)をまとめると、「摂食行動・性的覚醒(性的快楽)・自己主張行動・睡眠・ユーモアやウィット・リラクセーション」などがある。これらの拮抗反応を見ると、本能的欲求を充足させているときには、逆制止と関連した生理学的過程が起こり不安や恐怖を感じにくくなることが分かる。
 
とあります。
 
また同HPには
 
<不安・恐怖を感じる状況や対象に直接的に曝露させる技法を現実脱感作といい、不安・恐怖を感じる対象を想像してイメージ(表象)を形成する技法をイメージ脱感作という>とありますが、この方法は、昔から宗教家や瞑想家が行ってきた方法です。
 
人間は、必ず老いてこの世を旅立つのですから、回避行動ばかりせずに、向き合ってみることも大切です。
 
その向き合う一つの道として、俳句吟詠があると思うのです。
 
 誰しも、飢えたくはないでしょう、老いたくはないでしょう、死にたくはないでしょう。
 
 しかし、誰もが必ず老いていき、この世を旅立ちます。人間には制御できることと、制御できないことがあります。制御できることについては、精いっぱい努力しましょう。どうしようもないことを闇雲に恐れ、避けていては、人生そのものが貧しくなります。

 辞世の句は、人生の最期に歌うのではなく、いつも「今ここ」で詠いましょう。辞世の句を詠うことで、死と向き合い、死を無駄に恐れることなく、だらだら生きることを防止することができます。
 どこかに理想郷や天国があると思わず「どこも地の果て・いのちの果て」と思い切ったとき、そこがふるさと・極楽になります。
 
「どこへでもどうぞ 何処も地の果てしゃぼんだま」
「夏の闇 今年生まれた猫走る」
    
高杉晋作の辞世の句として おもしろきこともなき世に(を)おもしろく を紹介しました。
   
明治維新の立役者である高杉晋作ならば、「おもしろきこともなき世を」、と「を」を使って表現したとおもうひとは多いでしょう。おもしろきことのなき世の中「を」おもしろきものに変えるのだ、と。
実際、司馬遼太郎は「を」派で、防府天満宮の句碑では「を」となっています。
    
一方、「を」のところを「に」にかえると、句の趣意が違ってきます。東行庵の句碑には「に」とあります。理念理想は大事だけど、実際・現実の世の中の営みはそう思い通り、理念理想通りになるものではない、だからおもしろきこともなき世「に」、先ず自分自身が面白く生きるのだという趣旨です。
   
 理想や理念は大事ですが、理想や理念にこだわりすぎ、理想、理念の為に何かを犠牲にしてしまうこと、目的のための手段として、目の前の小さな出来事や人を疎外してしまうといったことは、歴史上よく見られたことではないでしょうか?
   
 とかく、自分の理想や正義を信じて疑わない人は、理想や正義を提示すれば、まるで水戸黄門の印籠のように、それを見た人はひれ伏すると思っているようなところがあります。ユークリッド幾何学では、三角形の内角の和は、必ず180度ですが、非ユークリッド幾何学では、そうはなりません。
     
「を」と「に」たった一字の違いですが、そこから広がる世界は全然違ったものになります。
 
そしてまた
世の中と自分の関係を別のものと捉えないまた違った目で見ると、「を」と「に」に更に違った趣意もうまれることでしょう。
  
ある人のいうには
「自分」という言葉は、
天然自然の分身という意味だそうです。
 
「ビッグバン栄枯盛衰夏盛り」