右の頬を打たれたなら

幼かりし頃、私の家庭には、「怒り」と「不満」が散らばっていました。
 朝から晩まで、毎日毎日というほどではなかったのですが、毎月月末が近づくと、生活費と父の浮気を巡って、肉体的な暴力が伴う夫婦げんかが始まります。そののちに、母から次姉への虐待がありました。
 そういう環境の中に育ったので、私には「怒り」に対するアレルギーのようなものが生まれました。「争う」ということが、例えゲームであっても、「嫌なこと」でした。
 「怒ってはいけない」ということが、信念の様なものに成りました。
 
 信念に成ればなるほど、葛藤が生まれます。
「怒っている人」に対して私自信が怒りを覚えてしまうのです。
その人全体を拒絶してしまうのです。
 
 青年期には「どんな時でも、決して怒らない人を会員とする。」という会則のある団体にひかれたりしましたし、その合宿講座を受けたこともあります。
 
 もうずいぶん昔から、「誰かがあなたの右の頬を打ったら、左をも向けよ。」(マタイ伝5・39)という言葉は知っていましたが、たしかにそれが理想である場合があるかもしれないが、実行は難しいことと思っていました。
 
 今日、身近で怒っている人がいました。
 その時、自分の変化に気が付きました。
「いついかなる時も怒ってはいけない」という信念が
「私は怒らずにいよう、でも他者の怒りは受け入れよう」ということに変化していると。
 
怒りの奥には、虚しさや悲しみがあります。
その虚しさや悲しみは、目標や理想を持ち、それに囚われるから生まれるのだと思います。
理想や目標を持つこと、ものごとをポジティブに捉えることはいいことだと、幼い頃から教えられてきたので、なかなか理想にとらわれている自分には気づけません。
 
「右の頬を打たれたら、左の頬を向けよ。」
という文章に色んな解釈があり、色んな評価、対応がありますが
私にとってそれは、「自分は怒らずにいよう、でも他者の怒りは受け入れよう」と
いう意味にいまは捉えています。
 
自ら不幸を願う人はいないと思います。
いつのころからか、おそらく世界と自己を分離して捉えるにつれて
沢山のもの、人、時間、快を所有するのが幸せだと思うようになってしまい
銀行と利子のシステムを作り出し
力づくでも奪い取ってでも所有したいと思うようになってしまい
戦争も肯定し、核をも持ちたがり、原発を必要とするようになったとも思います

ここは宇宙の果て、そしていつもここが始まり