聖書と税と原子力発電所 2011.7.24

はじめに <集団生活と経済 分業と分配>

 「人類」「人間」といわれる動物が、この地球上で、集団社会生活を営むようになってどれ位経つのでしょうか。生命科学として、あるいは、各民族や各宗教が持つ物語として、色々な説があります。
 どの説をとるにしても、私達人間は、食べたり飲んだりしないと生きていけません。大人なら、自分で生きていくのに必要なものを、自分で獲ってきたり、育てたりできますが、人間の赤ちゃんは、それができません。ですので、どのような時代であっても、どのような社会体制であっても、人間は、歴史の始まりから現在に至るまで、集団生活を送り、分業と分配を続けてきたと思います。ただ、その分業のあり方、分配のあり方は、多様です。
 
<分配 贈与・交換・盗み・略奪>
 その分配のあり方に注目すると、自分で獲ってきたり育てたりできない子ども、或いは妊婦さんに、親や集団が、自分で獲ってきたもの、育てたものを食べさせる。こういう分配を、「贈与」という言葉で表すことができると思います。
 個人と個人の間、或いは集団と集団の間で、余裕があるもの、足らないものを、お互いに「交換する」という分配もあったでしょう。

 しかし、時に贈与でもなく交換でもない分配もあります。それは「盗んだり」「奪ったりする」ことです。餌付をした猿の集団で、力の強い猿が、力の弱い猿から奪ったりする場面が、観察、報告されていたりします。
 人間の歴史を振り返った時、残念ながら、歴史の始まりから現在に至るまで、此の盗む、奪うと云う分配も続いてきました。そして、大きな集団同士で奪い合うことを、戦争と言ったりします。
 第一次世界大戦も、第二次世界大戦も、植民地の奪い合いでした。今は、石油を巡って中東やアフリカで紛争が続いています。
 戦争をするには、食べ物がたくさんいります。兵器もたくさんいります。兵器を動かすエネルギーもたくさんいります。
 「いざ鎌倉」という今ではあまり使われないことばがあります。この言葉の意味は、普段は鎌倉幕府から領地の安堵補償をしてもらい、農業を営み、いざ幕府にとって大事件があると、武器を持って鎌倉へ馳せ参じる、という意味です。戦争には武器がいりますが、実際に戦闘がない時にも武器を用意しておく、というのは今の時代も変わりません。
 
<戦争と原子力発電所
 さてここまでが前置きです。
 私達は、原子力発電所というと、色々なものを生み出したり、流通させたり、生活するのに必要な「電気」を生み出すことが、第一番目の目的である、と思いがちですが、歴史を振り返ってみると、「電気」よりも核兵器の材料である「プルトニウム」を生産することが、一番目の目的です。第二次大戦中、ドイツが核兵器を開発中であるとの情報を得て、アメリカでも核開発計画、マンハッタン計画を実施し、プルトニウムを生産する為に、アメリカのハンフォードに、原子力発電所が作られました。プルトニウム型原爆は、昭和20年8月9日、長崎に投下されました。
先進国が原子力発電所を維持するのは、何よりも核兵器の為です。

 他の国はともかく、日本はやはり、平和利用が第一目的では、と思っている人も沢山います。水力や火力といった他の発電方法と比べて生産単価が安いし、二酸化炭素を出さないので温暖化防止にもなるから、というのがその理由です。
 これは二つとも間違っています。ほかの発電方法より安い、というその計算には、核廃棄物の処理代が入っていません。処分場で、最低300年は冷やし続けなくてはいけません。また、今回の事故のような時の補償費も入っていません。同じく、原子炉の炉の中では確かに二酸化炭素は出ませんが、掘り出す時やウランを精製する時、設備を建設する時、廃棄物を処理する時、二酸化炭素を出します。また、原子力発電所は産み出した熱の三分の一を海に捨てて海を温めており、そのことがむしろ海に溶けていた二酸化炭素を気化させ温暖化に繋がっています。
 
 それでは、何でこんなに危険で、エネルギーの無駄の多い原発を立てたのか?それは、電力会社や銀行のお金儲けの為です。
 
 世界大戦が始まる前、日本には約470社の電力会社がありました。自由競争をしていました。ところが、戦争中に一本化されました。戦後、財閥を解体させたGHQは、日本を9つの地域に分け、電力会社の独占を認めました。独占会社だと、自由競争が無いので、価格を好きに吊り上げることができます。そこで、電力会社には、設備投資の6%まではもうけてもいいと云う制限を作りました。
 こういう制約があるなかで、電力会社が儲ける方法としては、できるだけ設備にお金がかかる方がいい、そこで原子力発電所を作ることにしたのです。
単純な例としては、設備投資に100万円かけると、電気代として106万円徴収し、利益は6万円になります。ところが、設備投資に1000万円かけると、電気代として1060万円徴収し、60万円儲けることができます。
そこに銀行が加わります。
 電力会社は、銀行にお金を借りて原発を立てます。その利子の分も、電気代に含むことができます。銀行にしても、お金がかかる原発の方がいいのです。
 銀行はどのようにして利潤をあげているかというと、お金を貸すことで儲けます。
 個人や小さな企業にお金を貸すと、担保を取りますが、貸し倒れになることもあります。しかし、大企業や自治体や国に貸し付けると、その心配はありません。
 
 その一つの方法が、土地開発公社を使ったお金儲けです。夕張市が有名になりましたが、自治体が、どんどん土地を買う、建物を建てる、道路を作る、ダムを建設する、その時銀行からお金を借ります。すると、銀行は、坐っていても、利子が入ってきます。

 今でも軍事力を使って、盗む、奪うと云う分配方法を選んでいる国がいますが、一回きりなら、効率がいい方法かもしれませんが、危険が伴いますし、損失もあります。盗んだり、奪ったりする人々も、自分のところへ沢山分配する方法を、長い歴史をかけて開発してきました。 
 昔の年貢のように、目の前で自分の生産したものが、盗まれたり奪われたりすると、反発が大きいし、抵抗があります。奴隷にしてもそうです。また、その人が労働で生み出す分しか盗んだり奪ったりできません。使いすぎると、死んでしまいます。奴隷とは言え、食べさせなくてはなりません。奪ったり、盗んだりするのに、もっと効率のいい方法をみつけました。
それが税です。そして銀行の利子です。

 議会制民主主義での国民が納める「税」は、建前上、収めることによって公共サービスが帰ってくるので、略奪ではなく、交換です。しかし、公共設備の建築費やグリーンピアとか天下り道路公団、そして土地開発公社を観ていると、そうとも言っておられません。感覚としては、聖書の時代のイスラエルがローマに奪われていたように、政府に取られているような感覚を持っている人が多いのではないでしょうか?

 那智勝浦町の場合、今は土地開発公社を解散させましたが、解散する前、返済していたお金の約四分の一が、利子分でした。
 
 先ほども云ったように、原発も同じで、設備に費用がかかればかかるほど、電力会社は電気代を高くすることができ、銀行は利子で儲かる、ということになっているのです。
 
 一度、自分の住んでいる自治体が、年間どれくらい地方債を発行して借金し、どれくらい返済しているか調べてみるといいでしょう。

 今後予想されるのは、福島第一原発に近いほど、子どもや弱い人から、あるいは原発事故の処理をしている人々に、甲状腺癌や白血病、ぶらぶら病が増えることです。

 このエネルギーの無駄遣いであり、とても危険な原発を止めていくには、その危険性を知ると同時に、利子で生活するのはおかしい、という事が一般の考えになることが必要と思っています。
 
 略奪ではない分配をどうやって実現できるのか、一人一人が歴史を振り返り、考えて求めていくことが大切と思っています。


"最も小さい者にしたこと"《マタイによる福音書25章31〜46節》

 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸でいたときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれた。《マタイによる福音書25章35〜36節》

 『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』《マタイによる福音書25章40節》