初心俳句会 観・セルフモニタリング・アウェアネス

ある課題を解決しようとするとき、私達はたいてい立ち止まります
逍遥派の人々は、立ち止まるのではなく、歩きはじめるかもしれません
 
どちらにしても、それは対象に集中し、その有り様を丁寧に観るため
俳句では、客観写生
行動療法では、セルフモニタリング
瞑想では、止観瞑想
酒井式描画法では、かたつむりの線
アウェアネスともいったりします
 
差異がみえてくる
差異が見えてくることによって、弁別し、
その違いに応じて、行動も変える
(あるいは、目標を変える)
丁寧に観ることによって、むしろ境界線は微妙になる
(境界即非境界)
 
自分の心身の状態や変化について、丁寧に途切れることなく気付いていること、
気付こうとすることそれをアウェアネスといいます。
自分の行動について、その行動が生まれるきっかけとなった外界の先行刺激(自分自身の意図や動機を含めることもある)、そして実際の行動、更に行動によって生まれた変化について観察し自覚すること、をセルフモニタリングといいます。
そしてそれは、そのまま瞑想訓練の過程です。瞑想では、自分の呼吸や呼吸に伴うからだの動きをモニタリングしたりし、そこで集中力と散漫力のトレーニングを積み、更に自分自身の認知過程、自分と世界の関係をモニタリングします。
 
モニタリング、観察するだけで、
実は不安とか後悔といった感情が消えていきます。
というのは、観察は、今に集中することであり
不安というのは、未だどうなるかもわからない未来について思うから生まれ
後悔というのは、すでに起きてしまったことについて思う時に生まれるからです。
最適な観察の対象は、やはり呼吸です。
呼吸は、いま現に目の前で生じていることだからです。
 
俳句においては、観がまずは「格」のひとつだと思います。
東洋芸術・体育・武道の世界でいう「守・破・離」の「守」といったところでしょうか。
 
「枯れる」にも「熟す」と「腐る」夏の果て