所属するという「コト」2 所属と所属感 独楽と踊りと所属感

 「所属すること」「所属感を持つこと」も人間の基本的な欲求だという考えがあります。
    
 では、改めて、所属することとは何か、何を以て所属しているといえるのか、を考えたいと思います。
    
 というのは、所属しているとその本人以外の人が認める所属と、本人が、私は確かに所属していると感じている所属感・所属は同じでないように思うからです。
      
 そして、私達が求めているのは、私達自身が確かに所属していると感じられる所属感だと思うからです。
      
 別な見方から表現すると、他の人々があなたは所属しているよと認めてくれないと所属感を持てない人もいるだろうし、他の人々の承認がなくとも(得られない場合もあります)、所属感を感じる人もいます。
     
6月8日のブログに
所属するという「コト」 モノとコトの階層性 というテーマで
     
< 改めて所属感とは何かを考えるとき、私は、「自分が規範としたい判断基準を持った集団が存在する」と感じること(コト)が、所属感だと思っています。>
と書いたのですが
     
< 所属感の始まりだと思います>と書き換えようと思います。
      
所属感を味わうには、踊ることです
     
所属を独楽に例えると、
所属感は回っている独楽に例えることが出来るように思います。 
       
回転していなくとも、独楽は独楽ですが
所属感は、自ら回らないコトには味わえない
      
父と母と子がいて、そこには家族という独楽ができるけれど
そこで家族という独楽を回さないと、所属感は生まれない
      
そして、シバの踊りが始まる
ラベルのボレロの踊りのように
あるいは、トルコのメウレウィー教団の旋舞(せんぶsema)のように
ひとたび吾が身を独楽として舞い、共鳴することを覚えたら
吾が身ひとつで踊ることで所属感を味わえたりするのです
  
唯物的に、限局的にコトを見れば
コト(感覚)はモノ(肉体・物質)に依存しているようだけど
階層的に観れば、その物質(モノ)は、コトに依存しています。
     
つまり、唯物的な見方においても、輪廻転生は可能というコト
     
偏倚(へんい)する原子 ヒメボタル 群れを発つ