創造と上達は死を包括する

昨日は、古代ギリシャ哲学のストア派エピクテトスの言葉を紹介しました。
  
< 自分の不幸のために、他人を責めるのは、無教養者の仕方であり、
自分を責めるのは、初学者の仕方であり、
自分もを他人をも責めないのが、教養者の、完全に教育された者の、仕方である。>
 
しかし、時には、自分の不幸感を他人のせいにし、腹を立てて怒りで以て相手を制御しようとし、日々日常の永遠性を、自ら壊してしまうことがあります。
 
そのことを乗り越えようと、「腹を立てない」「怒らない」ということをテーマにした心理学や倫理学や宗教的な書籍が多数みられます。
 
私自身、色々読んで実践した結果、階層性思考と複雑系的視点、有機全体論、システム論などにたどり着きました。
 
原因論的思考や医学的思考は、どうしてもエピクテトスが無教養の仕方といった他人を責めることに、そして、初学者の仕方といった自分自身を責めることにつながりやすいと思います。例えば、誤解されたストレス学説のように。
 
要素論的思考は、文脈を見失いがちになると思います。
世の中に広く伝わっているマズローの欲求階層論は、マズロー自身が述べたことかどうか疑問に思っています。
 
ウィキペディアでも紹介されているピラミッド型の階層論は、私はあまり採用しません。
 
でも、階層論というと、ピラミッドの図を思い浮かべる人も多いようです。
 
何か物事を説明するときに、部分・要素に分けて、説明するのが説明しやすいので、多くの人はそのやり方を採用しますが、それはあくまで説明のための理論であって、実際の生きた世界がそのようになっているとは思いません。
 
機械そのものの仕組み、制御の仕組みなら、要素論で説明がついたりします。
 
例えば、制御工学では、制御の仕組みとして、
1. シーケンス制御
2. フィードバック制御
3. フィードフォワード制御
の三つがあります。
 
例えば
シーケンス制御は、例えば工場のベルトコンベアーで、部品を手順通りに組み上げて製品を作るといったことです。
 
フィードバック制御は、ベルトコンベアーの速度を速めると、製品が沢山生産できるものの、規格外の製品が出たりするとき、適度なスピードに制御することです。
 
フィードフォワード制御は、ある製品が将来どれくらい消費されるだろうかと予測して、生産計画を立てることです。
 
この例の場合、ベルトコンベアー上の上を眺めても、シーケンス制御の隣に、フィードフォワード制御が並んでいる訳ではありません。
 
シーケンス制御とフィードフォワード制御では、レベルが違います。だから階層論なのです。
 
さて、自分の不幸感を他人のせいにして、腹を立て、相手を制御しようとするのは、シーケンス制御でしょうか、フィードバック制御でしょうか、フィードフォワード制御でしょうか?
  
これは、質問そのものが間違っています。要素論的な質問です。
 
腹を立てるという行動には、シーケンス制御、フィードバック制御フィードフォワード制御が、同時に、違ったレベルで階層的に働いていると説明できます。
 
ただ、フィードフォワード制御が働いてはいても、その予測があまりにも短期的であったり、一面的であったりしているのです。
 
前にも言いましたが、階層論を実感するには、止観瞑想をお勧めします。