原発事故後の地球と若者

NHKが製作している番組に、NHK特集があります。
1984年(昭和59年)の8月に2部に分けて放映された番組は
「世界の科学者は予見する 核戦争後の地球」でした。
   
NHKのHPには、次のように解説しています。
    
< 特筆すべきは「世界の科学者は予見する 核戦争後の地球」であった。国際的な反響も大きく、11か国でニュースに取り上げられ、イタリア賞、文化庁芸術祭でいずれもドキュメンタリー部門の大賞を受賞するなど、内外の高い評価をえた。
   
米ソ両国が保有する核兵器は当時、約5万発、広島型原爆の150万発に相当した。もし、そのうち1万発、5000メガトンが全面核戦争に使用されたら、人類と地球はどんな運命に見舞われるだろうか。この問いを発して、米ソを含む15か国126人の科学者・専門家からデータの提供を受けて、核戦争とその後の世界を迫真の特撮技術で映像化し、2部に分けて放送した。第2部は、核戦争に生き残った人々の運命を予見した。核戦争後来る「核の冬」は、超大国保有する核の0.5%でも起きる。番組はこうした科学者たちの予見を映像化して、世界の人々に核の現実を訴えた。この番組は、テレビジャーナリズムの役割を果たそうとするものであった。>
    
大人の間でもずいぶん話題になったように記憶しています。1984年といえば、若者の間では、1974年発行の「ノストラダムスの大予言」が読まれていました。
1999年7月に何かが起こると思っていた人々もいました。

当時私は、ある商店の店員として働いていました。その商店には、高校三年で、大学受験生の息子さんがいました。
彼は、「途中で見るのをやめました。こういうの見ていると、受験勉強のやる気を失いそうで。」といっていました。
私自身としては、確かに核戦争が起これば大変だと思うと同時に、日本にも、世界にもまだ切り開くことが出来る荒野があると思っていました。
その具体的な一つの活動が、コミューン運動で、過疎地に入植し、共同体を創設することでした。
   
「青年は荒野をめざす」という歌は、作詞が五木寛之で、作曲は加藤和彦、1968年に発表された歌です。小説はその前年1967年に、発表されています。
     
福島第一原発4号機の壊れた燃料プールには、1535体の燃料棒ががれきと共にあります。
今も冷却中です。これは、広島型原爆5000発分に相当するとか。
     
 核戦争後の地球で想定していたのは、1万発の原爆です。
    
事実を隠ぺいしても、漏れてくるものは漏れてきます。
     
仮想番組ではなく、実際に原発事故がありました。
原発事故後の地球」を、若者はどうとらえているのでしょう。
    
私個人としては、どんな時代であっても、切り開き種を蒔く荒野はあると思っています。
      
荒野なればこそ、切り開き、種を蒔くのです。
  
この荒野の種まきは、秋に収穫があれば越したことはないのですが、
別に秋が来なくとも、秋まで生き延びることが出来なくとも
種を蒔くこと自体が、すでに収穫となります。
   
生きることを、種まきに例えましたが、虹に例えることもできます
自分が一つの水滴になって輝くとき、
そこにアカシックレコードAkashic Recordsの虹が、「虚空Akasha」の中に生まれます
 
(怪しげな言明ではなく、文学的なたとへ・あやです。)