広島と福島

 小学生の頃、私は、「アメリカは、戦争を止める為に広島長崎に原爆を投下したのだ」と思っていました。 紀伊半島の南部で生まれ育ち、身近な人や知人に、被爆者はいないし、昭和29年生まれの私には、原爆投下は過去の出来事と思っていました。原爆の被害は自明のことだからそれなりに救援対策はされているだろうと思い、それで積極的に、投下以後のその内実を知ろうとしないで生きてきました。

 ですから、恥ずかしながら、数々の思い込みがあります。

戦勝国アメリカは、人道的、公明正大に被ばく者の治療、救済に当たったと思い込んでいました。
○ 当時広島にいて原爆と原爆によって誘導された放射線を浴びた人、放射性降下物により被ばくした人、投下後の広島に入り、残留していた放射性物質から外部被ばく内部被ばくを受けた人で、なんらかの原爆症の症状がある人は、原爆症と認定され、治療を受けていると思いこんでいました。
○ 被ばくというとき、外部被ばくだけでなく、内部被ばくも当然含めていると思い込んでいました。
○ 被曝後の国会で、被ばく者救済の為の法律が制定され実施されただろうと思い込んでいました。
○ 投下後の9月6日に、アメリカ政府は「死ぬべき人は死んでしまい、9月上旬において、原爆放射能で苦しんでいるものは皆無だ。」と発表し、また日米両政府は、1968年に、「被ばく者は死ぬべきものは全て死に、現在では病人は一人もいない。」と、国連に原爆被害報告していたことを知りませんでした。
○ 原爆に関するニュースは、普通に、世界中の人々に報道されたと思い込んでいました。
○ 投下後の9月17日夜半に、枕崎台風(昭和三大台風のひとつ)が襲来し、埃として残留していた放射性物質を洗い流しましたが、台風後に残留放射性物質の測定をしていたことを知りませんでした。
○ 原爆傷害調査委員会(ABCC)が行った疫学調査は、被ばくしていた地域を被ばくしていない地域と設定して、被ばく地との対象群にしていたことを知りませんでした。

 数えて言ったら、まだまだ出てきそうです。
 
 恥ずかしいかぎりです。