朝、寝床の中で目覚めると、直ぐには起き上がらずに、
しばらく横になったまま
「さて、今日はどのように生きようか」と思う
「どのように」というのは、「出来事や予定(緯糸)」のことではなく
「心持(経糸)」のこと
出来事でいえば
おそらくここ数日と変わらないことが繰り返されたりするだろう
仕事場に出かけ、いつもの人と出会い、夜には帰る
私の住む地方の町は、近年日々衰退に向かい・・・
いや、地方だけでなく、ニュースでは、ユーロ圏の経済危機を伝えている
新しく生まれてくる子供もいるが
その子供も含めて 日々 老いていく
もうすぐ還暦という歳になって
通信制大学の学生でもある私は、レポートに追われている
昨年、レポートを書く中で、「科学的管理法」なるものを調べた。
ウィキペディアには
「フレデリック・テイラーが20世紀初頭に提唱した労働者管理の方法論。」とある。
< 当時(20世紀初頭まで)のアメリカの経営や労使関係は、いくつかの問題を抱えていた。経営者の側には、経験や習慣などに基づいたその場しのぎ的な「成り行き経営」が一般的であって、統一的で一貫した管理がなされておらず、労働者にその皺寄せが回ることがあるなどの問題を抱えていた。また、生産現場では、内部請負制が、非効率な生産や組織的怠業が蔓延するなどの問題を引き起こしていた。つまり、労働者側は賃金や管理面において、経営者側は生産が適正に行われているかという面で、相互に不信感を抱いているような状況であった。>
20世紀初頭までのアメリカとはどんな時代で、どんな労働環境だったろうか?
「我が谷は緑なりき」という、19世紀末のイギリス、ウエールズ地方の炭鉱夫一家を描いた映画があるが、誇りを持って炭鉱労働に従事していた一家も、労働環境が厳しくなり、一家は離散していく。兄弟のうち何人かは、アメリカへ移住する。
今年は、タイタニック号が沈没して100年になるらしいが、タイタニック号は、イギリスからアメリカのニューヨークに向かっていた。船底に近い3等客室に乗っていたのは、やはり新天地アメリカに移民しようとしていた貧民層の人々だった。
世界大恐慌の頃のアメリカを描いた作品に、スタインベックの「怒りの葡萄」がある。
アメリカは、色々な国から、故国では食べられなくなって移民してきた人々にあふれていた。色々な言語、習慣、宗教。そんな中での、科学的管理法だった。
産業革命以後、工場法が制定され、科学的管理法が導入され、ホーソン研究のあと、シェインのいうように、経済人モデルから、社会人モデル、自己実現モデル、さらに複雑人モデルと経営管理論は変わってきたわけだけど、派遣社員やパート労働が増加した今、又かつての経済人モデル当時のような労働環境になってきているようなところもあるそうだ。
(職人が幅を利かせるという状況はないかもしれないけど)
「資本主義の逆流」という人もいる。
昨日とあまり変わらない今日がやってきたようでいて
実は、3月11日の地震津波原発事故、9月4日の台風豪雨がやってきたように
辞書の字が眼鏡なしでは読みづらくなるように
実は、自分の思い通りにならない出来事が、いつも進行しているのだと思う
原発は、まともに停止し、そして廃炉にした後も、エネルギーを使って、使用済み核燃料を長期間冷やし続けねばなりません。
まともに止まった原発でさえそうなのに、福島第一原発4号機の中には、まともでない燃料プールの中に、燃料棒や使用済み燃料棒が残っています。広島型原爆の5000発分の放射能が含まれるといわれています。
私達には、見たいものを見、聞きたいものを聞く、逆に言えば見たくないものは見ない、聞きたくないことは聞かない傾向があります。
あまりに事態が深刻なればなおさらです。