言語と生活 平穏と喜びと言葉

言語と生活 平穏と喜びと言葉
     
The Tower of Babelという物語が、旧約聖書、創世記第11章にあります。
     
< 大洪水の後、ノアの子らは諸民族の祖となり、増えていきます。この時点ではみんな同じ言葉を話していました。シナルの地に住んだ人々は石造りの代わりに煉瓦を焼いて建物を作るようになります。そして、「頂が天空にも達するような塔と都市を建設しよう。」とします。神はこれを見て「言語が統一されているからこういう作業を始めるのだ」と思い、言葉をばらばらにして互いに通じないようにします。必然的に共同作業は不可能となり、人々は各地に散っていきます。>
       
 元々統一の言語があったかどうかはともかく、共同事業、例えば工場生産や土木事業、あるいは戦争などを遂行するには、統一した言語が必要であることは明らかです。
        
 日本の大河ドラマを見ていますと、織田信長はテレビの中で現代の標準語を話しています。実際は、当時の名古屋の方言で語っていたはずです。現在私達が使っている標準語というのは、明治34年になって学校教育で始まりました。(「国語教授ニ用フル言語ハ主トシテ東京ノ中流以上ニ行ハレ居ル正シキ発音及ビ語法ニ従ウモノ」「尋常小学国語科実施方法要領」)
日本人なら、ニワトリはコケコッコーと鳴くように聞こえると今の私達は思いますが、標準語が普及する以前は、地方によりニワトリの鳴き声の聞こえ方も違っていました。例えば、かっけろこお(青森県南部)こかこっこお(奈良県)けけえろ(島根県)(得猪外明氏の神田雑学大学講演より)といった具合です。日清戦争において、出身地により言語が違い、指揮系統が伝わらないので、明治政府は標準語の普及を急いだのです。
      
 指揮系統が必要なのは、軍隊だけでなく工場生産でも同じです。19世紀、移民の国アメリカの工場生産においても統一の言語や習慣が必要になりました。その時、統一言語の普及に使われたのが「讃美歌」です。
      
 よく似たことが、ずっと以前のドイツでもありました。標準語が当たり前になった生活の中では、諸外国でも同じ様に、その国の人々はその国の標準語をしゃべっていると思いがちです。スイス人は、スイス語の標準語を語っていると。しかし、明治時代以前の日本が200以上の藩に分かれて、統一の言葉が無かったように、ドイツでも小国に分かれてそれぞれがそれぞれの方言で語っていました。そんな中で、より統一されたドイツ語の普及の役割を果たしたのが、11世紀の「吟遊詩人」です。
      
 正岡子規が、「写生文」の普及によってなそうとしていたことを、単に文学上のこととしてだけでなく、その時代の国際政治状況、経済状況を考慮しながら考えることが必要だと思います。子規の中にも、西欧列強と対等に立てる国を支える文化の創設という思いがあったのではないでしょうか。
     
 そして、言葉や文学形式は今も変化しつつあり、時代背景が言葉や形式に影響し、言葉の働きへの理解が人間の思考や行動に影響し、時代を変えていくことでしょう。
     
 誰しも争いよりは平穏を望むでしょう。苦しみよりは喜びを望むでしょう。
 そのためには、自他の語り合い、自分自身との語り合いが大切です。
       
言葉で語り得ることは、出来る限り語ることが大切と思います。同時に、言葉という記号によって全てが語り得る、語り尽くせるわけではないことにも気づいていることも大切でしょう。
      
それは、やはり語り得ることは最大限語ろうとする営みの中で見えてくることだと思っています。