月天心貧しき町を通りけり 蕪村

宮沢賢治さんは、
生前、童話集「注文の多い料理店」と詩集「春と修羅」の2冊を自費出版しましたが、全く売れませんでした。童話作家として生計を立てていたわけではありません。
    
ゴッホ
絵は、今どれ位の値がついているのでしょう。ゴッホの場合、生前売れた絵は2枚だといわれています。
      
与謝蕪村は、
本物の絵が新たに見つかったら、億は超えるといわれたりします。若いころ、借金のかたに絵を描いたといわれていて、借金取り用に家の入口には、「首くくる繩もなし年の暮」という俳句が張られてあったといわれます。
      
 ビバルディは、
自筆の楽譜も売りつくし1741年7月貧民窟で亡くなり、貧民用墓地に葬られました。
 
 シューベルト
生前はその才能をほとんど認められることなく、友人達の家に居候して食べさせてもらっていました。31歳で亡くなった時も新聞で報道されることもありませんでした。
 花街によく出入りしていたから、実はお金があったという人もいますが、石川啄木も借金を抱えながら、花街に繁く出入りしていました。(啄木のイメージが変わりそう)
 
 
 私も幼年時代、家が貧しくて、夫婦喧嘩の絶えない家でした。
 
 そういう環境で育った私は、一生懸命金儲けを目指す方向のライフスタイルにはならず、人と競争するのが嫌いな子供になりました。
 
 でもよく考えると、競うということと競争をごちゃまぜにしていたように思います。
 
 「競う」ことと、「競い争うこと」「争い競う」ことは違うように思います。
 
 それで、「競う」という漢字の成り立ちを調べてみました。
 
「競」旧字は「竸」です。境や鏡と同じで、境目や形のけじめをはっきりさせる意味だそうです。
 
「競・竸」の半分の竟は、音楽のおわり、楽章の最後をあらわす漢字だそうで、終いまでやり遂げるという意味があるようです。
 
 これに関して思い違いしていたことが他にもあります。
 
 より自給自足的な暮らしとか、独立独歩の暮らしを志せば、人と競うことがなく、のんびり暮らせるのでは、と思っていたのですが、今はそう思っていません。
     
 独立独歩的な暮らしをしようと思えば、スキルアップ、キャリアアップ、そして協働の力が必要と思います。


春と修羅