未来のことはわからない

k1s2011-11-28

 台風12号以来、両膝を壊していて、山の中を歩けば、また悪化するとわかっていながら、昨日は、未だ行っていない妙法山鳴子谷へ行ってきた。ここも土石流が発生し、県道沿いの家が押し流された。
 
 道なき道を歩き、もしここで動けなくなったら、発見してもらえないだろうな、と思いつつ歩いた。雌鹿とも遭遇した。
 
 来る12月4日には、那智勝浦町色川で、「山に学ぼう」私たちの生き方と未来、という講演会と映画の上映会が、山川海OneLovePeace実行委員会主催で催される。

 いちいがしの会の岡崎吉男さんが、「那智山の荒廃の現状・その歴史・課題」という題目で話される。
 
 その講演会の後の茶話会と交流会の時に、市野々の現状を伝えようと、歩いた。

 山を歩いている最中は痛くないのに、今日は正座ができないくらい痛い。
 
昨日も書いたが
 未来社会を予測するとき、過去を参照し、因果律に囚われると、どうしても暗くなりがちになる。那智川に注ぐ支流に、砂防ダムを作ると聞いたが、支流を歩いた実感では、砂防ダムで防ぎきれるのだろうか、と思う。
 
 歴史を調べると、天明8年1788には大水害があり、市野々村で26名亡くなったとあり、元禄6年1693には、色川村600戸流出の記録があります。
 
 雑木に埋もれてしまっているかつての集落跡、廃屋へ行ってみると、崩れないようなところが選ばれているように思う。
 
 崩れて、地肌が出ている谷を見ていると、エントロピー増大で、元には戻らないと思う。
 
 そして、今後この山がどうなっていくのか、地域がどうなっていくのか、日本がどうなっていくのか、暗い予想を立てがちになってしまうが、未来のことはわからないとも思う。