幕末・明治に咲いた花々

台風通過

幕末・明治期の人物伝を追って乱読する中で、新島八重を知り、2013年の大河ドラマは「八重の桜」であると知りました。
   
更に読んでいて、様々な女性を改めて知りました。
   
八重という名前に因んで、もう一人の八重、「緒方八重」
    
アマゾンの「緒方洪庵の妻」西岡まさ子著 河出書房新書刊 の説明には
< 9人の子を育てる一方、蘭学者洪庵と 塾生2千といわれ 大村益次郎福沢諭吉などの俊秀を輩出した適塾を陰で支えた。塾生から“母”と慕われた八重を艶やかに綴る >とあります。
   
吉田松陰と同じ野山獄にいた「高須久子
     
「松陰と女囚と明治維新田中彰著 日本放送出版協会発行 
吉田松陰の恋」 古川薫著 などで知りました。
     
吉田松陰 絡みで 頼山陽の弟子で恋人であった「江馬細香」
梁川星巌のパートナー「梁川紅蘭」
「女たちの明治維新」 鈴木由紀子著 NHK出版 2010 で触れられています。
      
その頼山陽の母・梅
「すっぽらぽんのぽん―頼山陽の母・梅〓八十四年の生涯 」見延典子著
< エリート武家への嫁入り。堅物の夫と放蕩息子。お家断絶の危機。そして、芝居見物と旅行三昧―。生活を楽しんだ、人生の先達 >
頼山陽と平田玉蘊―江戸後期自由人の肖像」
      
「広瀬(森)常」
辛夷開花」植松三十里著 文芸春秋
秋霖譜―森有礼とその妻」森本 貞子 東京書籍
      
「女たちの明治維新」の中に
吉田松陰が、処刑される二日前に書いた『留魂録』の第8章が抜粋して紹介されています。
    
< 今この獄中にあって、死について発見したことがあるので、いつかの君(高杉晋作)の質問に答えておく。死は好むべきものではなく、憎むべきものでもない。死して不朽の見込みがあるとおもうなら、いつどこで死んでもよい。生きて大業をなす見込みがあればいつまでも生きよ。要するに生死を度外視してなすべきことをなす心構えが大切なのだ。>
< 私は三十歳で生を終わろうとしている。いまだ一つも成し遂げることがなく、このまま死ぬのは、これまでの働きによって育てた穀物が花を咲かせず、実をつけなかったことに似ているから惜しむべきかもしれない。だが、私自身について考えれば、やはり花咲き実りを迎えたときなのである。なぜなら、人の寿命には定まりがない。農事が必ず四季をめぐっていとなまれるようなものではないのだ。しかしながら、人間にもそれにふさわしい春夏秋冬があるといえるだろう。十歳にして死ぬ者には、その十歳の中におのずから四季がある。二十歳にはおのずから二十歳の四季が、三十歳にはおのずから三十歳の四季が、五十、百歳にもおのずからの四季がある。>



7月7日フォークス 新風新曲コンサートで歌う予定のうたです。


ひかり・うた・ぬくもり・ちえ 2012.5.28  

朝目覚めると すぐには起きださず  しばらく寝床で 考える 
さて、今日一日 どのように 生きようかと
どのようにというのは、 予定のことではなく  こころもちの こと

予定ならば いつものように 仕事場へ 行き        
いつもの人と出会い 夜には  家に帰り 眠るだろう
昨日と変わらない 今日があり 今日と変わらぬ 明日があり 
私の住む田舎町は 少しずつ 少しずつ 寂れていく

いや、昨日のニュースでは  ヨーロッパの経済も 危機だといって いた
中国もアメリカも 河は汚れ 貧しい人が 増えている

今年はタイタニック号が 沈んで ちょうど100年 目
タイタニック号の 三等客室にいたのは ヨーロッパの 貧しい人々
新しい暮らしを求めて アメリカに向かった 貧しい 人達
我が谷は緑なりき イギリスのウェールズ地方 誇りを持って 石炭を掘っていた家族が
暮らせなくなって 家族は分かれ分かれ 若い人々は アメリカに旅立った
怒りの葡萄 アメリカで暮らし始めた 農民たち は           
砂嵐になやまされ 耕した土地は 資本家に 奪われ
更に奥深く 西へ西へ 新しいくらしを探す
だけどそこに待っていたのは さらに更に 過酷な 暮らし

そのころ日本では 大逆事件 幼い子供たちが 夜も眠らず働いていた 
それから大きな戦争が 幾度かあり  100年目の 私
寝床の中で 考える  さて今日どのように 生きようかと

昨日とあまり変わらない 今日がやってきたようでいて すべては 流れゆく
いつのまにか 眼鏡なしでは 小さな文字が 読めなくなったように
自分の思い通りにならない 出来事が、すこしずつ少しずつ 進んでる

地震があって 津波があって 原発の 事故
過ぎ去ったと思った台風が 豪雨となって 山を崩した
ヒトの力では変えようの ないことが 気付かないところで進んでいる
福島第一原発 4号機 崩れかけた燃料プール に 
1535 本の 燃料棒 広島原発 5000発分
(dona nobis pacem, dona nobis pacem)

朝目覚めると すぐには起きださず しばらく寝床で考える
さて今日は どのように 生きていこうかと
どんなことがあっても 光は射してくる どんなことがあっても 歌を歌う友がいる 
どんなときにも 人の肌は暖かく  どんなときにも 人を導く智慧がある

思い通りにならなくとも  光であれ  
思い通りにならないときは 歌を歌おう 
さて今日は どのように生きようか   光で あれ  
歌であれ  ぬくもりであれ 智慧と成れ
何気ない 日常の中に 永遠の 光  (光になろう)