南無光ヶ峰

○光ヶ峰について
 紀南地方に住む多くの人々にとって、一番なじみのある山の名前と言えば、「那智山」でしょう。那智山という名前の山もありますが、一般的には、妙法山、烏帽子岳、光ヶ峰の那智三峰を総称して那智山と言います。市野々から那智の滝に向かって立ち、那智川を挟んで左手が妙法山、右手が光ヶ峰です。
 光ヶ峰の名前の由来については、『紀伊国名所図絵』に「神光を放ちしによりて、光ヶ峰と名づけし」とあります。那智大社青岸渡寺から見れば真東の方向にあり、春分の日には光ヶ峰から日が昇ることになります。標高685.5m。

○登攀コース
 光ヶ峰山頂へのルートとしては、新宮市高田から俵石集落跡、大杭峠を経て尾根道を辿るのが一般的なコースです。私は、市野々に住むものとして、那智谷からのルートを探しました。直下から山頂を目指すのは、あまりにも斜面が厳しくて困難です。先住の人々が古くから使ってきた道を歩くのが、遠回りでも最適です。先ほどの一般的なルートの分岐点、大杭峠へ那智川二ノ瀬橋から登る道は、熊野古道大辺路の一部と言われています。

○山の現状
 2011年9月の台風の被害と砂防ダムの工事により、登山口の様子が一部変わっていますが、旧道はすぐ見つかります。人一人が通れる山道が残っています。
 しかし、その旧道も所々寸断されています。遠くから見れば被害がなかったかのように見えるところも、森の中、特に急斜面や谷の部分を歩いてみると、随分抉れています。特に谷の部分は侵食が進んでいます。元々谷の部分は、風化によって割れたり、あるいは上から落ちてきたごろごろ石が積もっています。前回の台風と同じような雨が降ると、あちこち確実に崩れてしまうでしょう。

 歴史を振り返ると、近代以後私達は、科学の力で自然を克服できるかのように思ってきた傾向があります。山を歩いていると、それは間違いであったように感じます。二宮尊徳は「天道に順ひつつ、違いあるのが人道」と述べました。
人智を超えた創造と破壊を併せ持つのが、自然の姿なのだろうと思います。

○なむ光が峰 Physis
 「印度放浪」「東京漂流」などの著作者、藤原新也氏が著書「黄泉の犬」の中でこう書かれています。<大きな山のふところに抱かれた町や村に住む人々の気持ちにはどこか安寧が漂っている。><空に向かって屹立する形のよい大きな山は、それが神格物体でもあるかのように人々の心を癒す。><山もまた自然の造った巨大な仏像であると言える。>
 光ヶ峰を毎日仰ぎ、山の中を歩くと、私はちょうど仏様の掌の中で遊ぶ孫悟空のような心境になります。そして、梁塵秘抄の一節を唱えます。<遊びをせんとや、うまれけむ> 彷徨いながらも、我信ず。なむ光ヶ峰。