私たちはどこから来てどこへいくのか

私の世代の人なら、「鉄腕アトム」を知らない人はいないと思います。

アトムとは、これ以上分割できない基本的な粒子つまり原子という意味を表わしています。それは、古典的な物質理論です。
 
 電子の発見により、原子は原子核と電子からなるといわれるようになりました。
ラザフォードは原子核の発見者ですが、原子核の周りを電子が回転していると考えました。
 
1913年にボーアは、地球が太陽の周りを公転しているように、電子が原子核の周りを公転しているとする原子モデルを発表しました。

 私が、物質の基本的な構成とか原子や電子という言葉でイメージするのはせいぜいここまでです。物理の得意な人はともかく、多くの人にとっては、同じような理解ではないかと思っています。

電子は負の電荷を持ち、回転すると電磁波を出すことが知られており、電子は電磁波の放出によって次第にエネルギーを失い、最終的には原子核に吸収されてしまうはずなのですが、電磁波も出していず、電子が原子核に吸収されることもないという疑問がありました。これに回答を与えたのが量子力学だそうです。
 
量子力学において、電子は原子核のまわりの一定の軌道を回っているのではなく、ランダムに発生したり消滅したりしていると説明します。

 私はこの話を聞いて、ネオンサインのことを思いました。ネオンサインでは、個々の電球がついたり消えたしているだけなのに、遠くから見ると、動きに見えたりします。いわゆるゲシュタルトです。
 
 ゲシュタルトから更にイメージしたのは、仏教でいうところの「刹那滅」です。

 更にイメージしたのは、「縁生」ということです。
 
 私達のからだもこころも、量子力学的に生じては滅しているのではないかということです。
 
 そう言った考え方が、日常生活、たった今こことどう関係しているのか?
 
私達はどこから来て、どこへ行こうとしているのか?
 どこへ行こうともしていなくて、ここが宇宙の果て、ブラックホール、限界点であり、ここがビッグバンの始まり、すべての始まりであると思うのです。
 
 たった今この時も、一人一人が、被造物であり創造者であると思っています。
 
 一般相対性理論からみれば、宇宙空間は、ひずみはあっても、無で、空らしいのですが、量子力学理論からだと、粒子と反粒子が、絶えず生まれては、衝突し、消滅し、波打っていると説明されるとか。

今日もまた、いかされていると感じつつ、響き合えたらと願って、触れ、関わり、暮らします。
 
 テレビから、「デマに惑わされないように」という伝言が流れて来ます。
 
 一国の首相が、「予断を許さない状況である」といっている中で、専門家と言われる学者さんたちは、たくさんの予断を述べています。
 
 「レベル4で大丈夫」と言っていた学者さんがいましたが、予断を許さない今の段階でレベル6です。
 
 予断だけでなく、チェルノブイリ事故で確かに6000人の子供が甲状腺癌になったが、死亡したのは15人、99%は生存している、と伝えるメディアもあります。だから、今汚染された食品を食べても、心配ないと。
 
 この記事を書いた人は、甲状腺がんを発病した子供たちがどのような暮らしをしているのか知った上で書いているのだろうか? 一方的なデータだけを見ていないだろうか?
 
 あるいはまた、この記事の見方に従えば、今後甲状腺癌を発病し亡くなったとしても、放射能汚染との因果関係は、否定される可能性がとてもとても高いということを示していると思う。