語りえる世界語りえない世界 操作し得る世界操作しえない世界

「人は、見たいように物事を見、聞きたいように物事を聞く」
ということを、心理学を通して学びました。
「人は、自分が信じたいように物事を語る」のでしょう。
 
私達は、私達自身が語った物語の中に生きています。
と同時に、
 
語りえる世界は、語りえない世界の中にあるのだと、私は思っています。

語りえない世界を仮に語りえない世界と呼んでいるのですが、
一枚の葉っぱも、一本の樹も、この指も、からだも
実は語りえない世界のほんの一部に、
仮に名前を付け、語りえる部分について語っていると思っています。
 
名前を付け、言語にし、語りえるもの、操作できるものとしても、
操作できない世界はすぐそばにあります
 
色々語られる中で
「UFOがあらわれた」「人工地震だ」「試練に耐え、進化するのだ」といった語りがあり
「直ちに健康に影響を及ぼすようなものではない」という
これまでは「専門家」といわれてきた人々の語りもあります。
 
私は、私自身が、私自身の専門家だと思っています。
 
見たいように見、聞きたいように聞き、信じたいように語っても
語りえる世界、操作し得る世界は、語りえない世界、操作し得ない世界のなかにあります。
 
いかされていることを感じつつ、触れ、祈ります。
一人一人が、自分自身の物語を語り、生きて、隣人と響き合いますように