燕来る

煮豆屋も墓地も町内燕来る 岡本眸
 
俳句を詠っている人にとっては、上の句と俳人は、馴染みある句と俳人かもしれません。
 
私は昨日まで、この句と俳人のことは知りませんでした。
いま、この句を目の前にして、その背景や詠った俳人のこともわかりません。
 
31文字のテキストがあるばかりです。
 
昨日、燕石を通販しているサイトを見つけ、注文しました。
そして、歳時記で燕の項をみていて、上の句を見つけました。
 
今では、私たちは、燕が渡りをする鳥であることを知っていますが、古代の人には不思議な鳥だったようです。春になると突然現れます。冬、山や森に分け入ってもその姿は見えません。
冬の間、土の中に潜っているか、水の中に潜っているか、異界に住んでいるか、と考えたりしたようです。
 
煮豆屋という生業が成り立ったのは、いつの時代の頃なのでしょう。もちろん今も成り立っているところもあるかもしれません。小学生の頃、お豆腐屋さんが、自転車の荷台に豆腐を積んで持ち売りしていた記憶があります。
豆もまた、異界とこの世を結ぶ媒介です。

墓地もまた、異界とこの世を結ぶ場所です。
 
ルネッサンス、啓蒙、理性、科学
夜の闇を明るく照らしてきた人間の光が、
(今その光の多くは、原子力発電によって生まれます)
異界とこの世の間の扉を見えなくしていたように思います。

無人子どもを送る燕来る