スピリチュアルな発達、学習

ブログのタイトルを変更いたしました。
そこで、スピリチュアリティに関することを少し書きます。

スピリチュアルな発達 学習
 
大人なら、学習という言葉も、発達という言葉も知っていて、日常でごく普通に使っているでしょう。

 そこで、改めて、学習ってどういうことですか、発達とはどういうことですか、と尋ねられると、はっきり文章にして言える人は、少なくなると思います。
 
 大体は、心理学の教科書に定義が書かれています。
 
 例えば、学習なら、「経験を通じてその知識や技能を獲得すること」「経験によって動物(人間を含め)の行動が変容すること」と説明されるでしょう。
 
 発達については、「発達(en:development)とは、一般に受精から死に至るまでの人の心身、及びその社会的な諸関係の量的及び質的変化・変容をいう」と説明されたりします。
 
 発達には三つの構成要素があるとエリク・エリクソンはいい、その三つの要素のうちに学習が含まれ、「経験により獲得した知識、理解により、自分の行動、態度を微調整していく事」と説明されます。
 
 この定義で、学習や発達が理解されるのかというと、そうでもなく、それこそ、「学習を学習する」「学習を教育する」にはどうしたらいいのか、自分に問い、探索することの中で、学び、発達していくことでしょう。
 
 というのは、「経験」や「行動」、「獲得する」という言葉の意味も、「変容する」という言葉の意味も、改めて問うと、簡単ではないからです。
 
 私達は、桜が咲いて、やがて散ること、蜜柑が木に実り、やがて地面に落ちることを知っていたり、実際見たりします。では、そこにどのような変容があり、関係性があり、構造があり、「なぜ」そういったことが起こるのか、説明しきれるわけではありません。
 
 もっとわかりやすい例で言えば、テレビやパソコンがそうです。私達は、テレビを見たり、パソコンを使ったりします。しかし、どのようにしてテレビ放送が見えたり、インターネットが出来るのか、説明できる人は少数です。

 私達は、さまざまな変容を目にすることがありますが、どのようにしてその変容が起こったのか、説明し、同じような変容を起こすことが出来る人は少数です。
 
 ただ、たまたま起こった変容を、自分が起こしたと勘違いしたりします。
 
 プランターに、種をまき、芽が出たら、水を遣り、肥料を施し、やがて見事な花が咲いたりすると、自分がそのような変容を起こしたと思ってしまったりします。確かに、水を遣らなければ、その植物は枯れてしまい、花を咲かせなかったかもしれません。しかし、それは変容に関わったのであって、起したわけではありません。というより、変容という言葉の意味を今一度考えねばなりません。
 
 私は絵を描くのが苦手だ、という人がいます。私は跳び箱が飛べないという子供がいます。苦手と思っている人に、絵を描く面白さを教えること、跳び箱を飛べない子供を飛ばせるようにするにはどうすればいいか、あなたはあなたなりに方法を持っていますでしょうか?
 
 ダイエットに悩んでいる人に、適切な援助の方法を持っていますでしょうか。アルコール依存の傾向のある人に対して、そこから抜けでるやり方を、持っているでしょうか?
 
 やがて必ずやってくるだろうと思われる「死ぬこと」に恐れおののいている人の、不安を取り除く道を、持っているでしょうか?
 
 いわゆる障害があるとかないとかに関わらず、私達は、小さきもの、弱きもの、貧しきものとして生まれ、そしていつかやはり、小さきもの、弱きもの、貧しきものとしてこの世を去っていきます。
 
 親や先生、そして本人も、小さきものを大きくしよう、弱きものを強くしよう、貧しきものを豊かにしようします。そして、大きくあらねばならない、強くあらねばならない、豊かであらねばならないという思いが、自他を苦しめたりします。
 
 70歳になっても、80歳になっても、人間は、その年代なりに、一生、学習し、発達していく存在であると私は思います。
 
 と同時に、小さきままで、弱きままで、貧しきままで、自分の人生の意義を見出し、実践し、他の人生と響きあうこともできると思っています。
 
 それは、スピリチュアルな発達であり、学習であると思っています。

 スピリチュアル、スピリチュアリティという言葉は、使い方が難しいです。霊性と訳されることがありますが、私はむしろ霊性とは訳さない方がいいように思っています。「霊」という漢字を使うと、霊魂とか、心霊現象という言葉がイメージされ、宗教とかオカルトをイメージする人も多いと思われるからです。
 
 「いのちとこころのカウンセリング」体験的フォーカシング法 エルフィー・ヒンターコプフ著 金剛出版の中で、著者はこう述べています。
 
「本書では、宗教性(religiousness)という語は、教会組織や宗教的団体の信念や実践に従うことという意味で使います。spiritualityという語は、独特のそれぞれの人にとって意味ある体験を指すために用いられます。Spiritualityにはいろいろな形の宗教性が含まれることもありますが、必ずしも宗教的である必要はありません。」37ページ
 
 私は、私たち一人一人が、その唯一の人生を通して、生きることの意義を見出し、実践すること、他の人生と響きあうことを、スピリチュアリティと言っています。