永久の未完成これ完成である 二重性の象徴としての十字架

「永久の未完成これ完成である」という詩句は、
宮沢賢治の「農民芸術概論綱要」の一節です。
     
これまで、色んな人が色んなところで引用してきたことでしょう。
     
「永久の未完成これ完成である」という詩句に感銘し、
それを日常的に生きるとしたら、
例えば、それは具体的にはどういう生き方になるのでしょう
      
「未来のどこかに完成という時点がある訳ではない」という感嘆が、わたくしの場合在ります。
     
人類にとって何か有益なことを成し遂げたとしても、
そこまでいかなくとも
日々鍛錬を積み重ね、満足のいく人生を送り、臨終を迎えたとしても
それは完成ではないでしょう
    
でも、私達は、人生のどこか未来に、
完成すべきこと、完成といえる時点があると思い込み
ついつい今この時を、その日のための「手段」にしてしまいます
身近にある人、親しい人をも、手段にしてしまったりします
自分の理想を、相手に押し付けたりします(疎外)
       
「何処か未来に完成があるわけでない」と思い至ったとき
あるいは絶望した時
     
その未完の日々こそが永遠の時として生きるところ
もちろん理想に憧れ
鍛錬を続けながら
お互い未熟なままで 弱きままで 
一見平凡な日々のままに 貧しきままに
苦しきままに 
     
その二重性の象徴が
私にとっては十字架であり、六芒星です。
   

    
来春、通信制大学を卒業できそうです。
それで、しばらく休んでいたNPO熊野みんなの家の講座を再開します
1月19日土曜日午後2時から