人生の目標地 協同学習

k1s2012-02-14

「人生の目標地」をキーワードにしてネットを検索したら、阿部敏郎さんが書いている「今ここ」というブログの「人生の目的地」というタイトルのページが最初に挙がってきました。
    
なぜ、「人生の目標地」という言葉でネットを検索しようと思ったかというと、朝瞑想していて
     
「自分は、日々一瞬一瞬、人生の目標地を何処においているだろう。明日だろうか、一年後だろうか、10年後だろうか、臨終のときだろうか?」と思ったからです。
       
別の表現をするならば、「私は自覚のないまま、いまここの自分自身や他者を、自分の目標達成の手段にのみしてはいまいか。疎外していまいか、傷つけていないか」という問いかけでもあります。
      
通信制の大学生となって、今年で5年目になります。
レポートを書いたり、試験を受けたり、スクーリングを受けるために、自分自身や周りの人々に負担をかけています。
来春には卒業したいですが、卒業したら次は大学院で学びたいと思っています。
      

阿部敏郎さんのブログのタイトルのように「今ここ」を大切に生きることは大事でありますが、「今ここ」とコトバで書いてしまうと、何かが抜け落ちてしまう感覚があります。
       
「今ここ」という言葉は、「今ここでない未来とか過去とか」を前提としている言葉で、その言葉も、本来分割しようのない全体から一部を切り取ってできた言葉です。
       
「今ここ」とか「一期一会」とか「Be here now」という言葉は美しくて、言葉だけを聞くと酔いしれてしまいそうです。
        
そこで、「今ここ」をつかまえようとすると、それは逃げ水のように逃げていきます。
      

 2月12日に、卵を立てました。
 これまでいろいろ卵を立てる取り組みをした中で思うことがあります。
 一対一で、卵を手渡して、じっくり立ててもらうのと、十数名の集団で、和気あいあいと話しながら立てるのでは、集団で取り組んだ時の方が、立つのが早いように思います。
 
 「早く立つということにさほど意味はありません。指先の感覚や呼吸に注意すると同時に、色んな想いがわいてくるので、その想いも観察してください」と説明します。

 なかなか立たなくて、独りだけでは、諦めてしまいがちなところを、アドバイスやヒントをもらったりしていると、その瞬間は突然やってきます。
 こういうのを「協働学習」というのでしょうか。