「暑さ寒さも彼岸まで」という言いならわしがありますが
今の時期、春が待ち遠しく、寒さを耐える為に云い伝えたことだと思います。
去年の今頃はそのことわざ通りにそれなりに寒かったと思います。
そして、熊野地方では、彼岸を過ぎても寒い日が続きました。
それで、今年は冷夏だろうとまで、去年は予測し、
ところが、実際は猛暑でした。
今年、この時期、暖かいのは有難いのですが、
熊野地方の人々は季節外れに暖かいと一方で不安を覚えます。
それは、地震を思ってです。
昭和19年12月7日、マグニチュード7.9の東南海地震が
昭和21年12月21日、マグニチュード8.0の南海道地震が発生し、大きな被害を受けたからです。
その日は暖かかったと被災経験者の方は言われます。
それで、この地方のお年寄りは、季節外れに暖かいと、「地震が来ないかねえ」とあいさつ代わりに使ったりします。
過去の当地方の地震の記録から、50周年説や60周年説があり、昭和21年からは65年経っています。
私達人間は、地球を卵に喩えると、殻の上に住んでいて、殻の中にはマグマがあります。
その殻にしても、卵の殻と違って、少しずつ動いています。殻の隙間からマグマが出ています。
地震はいずれ必ずやってくるでしょう。
地震と言えば、良寛さんの言葉を思い出します。
文政11年(1828)11月12日 三条の大震といわれる地震が、良寛さんの住んでいた地方に発生しました。その時に良寛さんが、良寛が親類で友人である山田杜皐に書いた見舞いの手紙です。
「地震は信に大変に候。野僧草庵は何事もなく、親るい中、死人もなく、めで度存候。うちつけにしなばしなずてながらへてかゝるうきめを見るがはびしさ。しかし災難に逢、時節には災難に逢がよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候。かしこ」(良寛全集 下巻 東郷豊治編著 東京創元社 昭和34年刊より)
この手紙をどう読むかは、人それぞれと思います。元々は、良寛さんが、ある背景のもとで、友人個人に宛てて送った手紙です。
「死ぬ時節には死ぬがよく候」という文章は、後の人がよく引用したりします。
人生の目標とか夢とか、一般的に肯定的なことと捉えられていることは、言いかえると次のようなことではないでしょうか?
「今ここにないものが、手に入らないと 私の人生の幸せ、充実、充足、生き甲斐はない、だから、今ここにないものを手に入れよう。」
と同時に、
「今ここにないものごとが、やがてやってくると、私の幸せ、充実、充足、生き甲斐が壊れる。だから、それを避けるように努力しよう。」
幸せの為に、今ここになくてあってほしいものとは、財力であったり、地位・立場であったり、称賛であったり、知識であったり、恋人であったり、よくできる子供であったり、数え上げるときりがありません。
今ここにはないが、やがて壊すことになるものとは、例えば「病気」「障害」「死」です。
しかし、
いまここにないものは、いつまでも、どこまでも、いまここにないものだとおもいます。