「日本は仏教国です」とか、「日本人の多くは仏教徒です」と他国の人々に紹介する日本人がいます。
そこで更に、「仏教とはどういう宗教ですか?」と尋ねられると、説明に困る人が案外多いのではないのでしょうか?
あなたならどのように説明するでしょうか?
私の場合だと、先ず仏教という漢字の成り立ちから説明します。
仏教とは、ゴータマ・シッダールタつまり「釈迦牟尼仏の説いた教え」だから仏教といい、また「仏に成る為の教え」だから仏教と言います、と。
では、具体的にどのような教えを説いたのでしょうか?
仏に成るとはどういうことでしょうか?
七仏通誡偈というものがあります。
無門関の中だと思いますが、「そもそも仏教とはどんな教えか?」という問いに対する答えとして、この七仏通誡偈が語られていたと思います。
諸悪莫作(しょあくまくさ) ― もろもろの悪を作すこと莫く
衆善奉行(しゅうぜんぶぎょう) ― もろもろの善を行い
自浄其意(じじょうごい) ― 自ら其の意(こころ)を浄くす
是諸仏教(ぜしょぶつきょう) ― 是がもろもろの仏の教えなり
パーリ文
Sabba pāpassa akaranam(サッバ パーパッサ アカラナン)「一切の罪を犯さぬこと」
kusalassa upasampadā(クサラッサ ウパサンパダー)「善に至ること」
Sacitta pariyodapanam(サチッタ パリヨーダパナン)「心を浄化すること」
etam buddhāna sāsanam(エータン ブッダーナ サーサナン)「これがブッダたちの教えである」
七仏通誡偈ではなく、四法印で説明することもできます。
四法印とは、三法印
「一切行無常」(sabbe-saMkhaaraa-aniccaa、sarva-saMskaaraa-anityaa)
「一切法無我」(sabbe-dhamma-anattaa、sarva-dharmaa-anaatmaa)
「涅槃寂滅」(nibbaana-vuupasanna、nirvaaNa-vyuupasaama)
に
「一切皆苦印」を加えたものです。
あるいは、四聖諦八正道で言い表すこともできます。
では次に「仏に成る」ということから説明すると
八正道、六波羅蜜などがそれでしょう。
涅槃に至る修行としての正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定を八正道と言います。
六波羅蜜については、あるお寺さんのHPには次のように説明していました。
「大乗の菩薩が涅槃の境涯に到るための修行方法を波羅蜜といいます。生きて成仏するために修行しなければならない修行のことです。布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の六種の修行があり、これらを六波羅蜜といいます。」
要約すれば、修行して、仏が説いた教えを体得し、自らも仏となることを説いたのが仏教である、と言えます。
悪いことをしないこと、悪い欲を持たないこと、善いことをすること、善い欲望を持つこと、
貪らないこと、怒らないこと、そのためには、布施や戒律を守ることや、瞑想をして、一切空、諸法無我、縁起を体得すること、
慈悲や帰依という考え方、生き方があるとは知ってはいたものの、私は仏教をそのように理解してきました。努力して、悟りつまり一切空の境地に至らないと、人は苦しむ、そのような姿勢で生きてきました。
一生を仏教を基本に生きて、聖書などを引用することはあっても、キリスト者が書かれたものを瞑想や人生のテーマとすることはないだろうと思っていたのですが、今はヨブ記をじっくり読んでみようという心境になっています。
ヨブは語ります。
「わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」