自性としては空なれど 事象としては存在する

並はずれた努力の末に、「そこ」へ到達するのではなく

未熟のままで、あるがままで、流れるままに 今ここ永遠
と感じた人は、これまでの歴史上沢山いただろう
 
その念慮のもとは、「自性は空なり」という認識、体験、所属感であろう
 
人の歴史で、苦しみは「解消」されることはなく、しかし「解決」はある

と「未熟なままで 今ここ永遠」ということを味わっていたら
 
安禄山ということばがやってきた
安禄山の乱 がきっかけとなり、唐の時代が滅ぶ
均田制がくずれ、徴兵制が崩れ、傭兵の時代だからこそ
節度使安禄山がのしあがる
都から逃れる道で楊貴妃は絞殺される
しばらく乱世が続く
食べるものがいよいよ無くなった時には
人間を挽き臼で挽いて団子にしたそうだ
 
宋の時代となり 文治の時代の象徴である科挙制度がさらに進む
皮肉なことに、一足早い文治が、後の世に列強のつけ入るすきを与えた
 
そもそも、古代ギリシャやローマの市民達に発言権があったのは、
彼らが兵士でもあったからだ
 
これからどのような時代になるかは 予測するのが難しいが
食べ物をどう生産するか 軍隊はどのようにして成立しているか
利子をどうするか など 時代を超えて大きな要因となるだろう
 
20世紀は
傭兵の時代よりはるかに多くの人々が
国民国家の名のもとに戦争をし、亡くなった
 
未熟のままでも今ここ永遠 だけど 
自性は空であっても 事象は確かにあり
だからこそ、発菩提心が大切になってくる