携帯電話と止観瞑想

歴史を学ぶにしても、経済学を学ぶにしても、
物理科学を学ぶにしても あるいは心理学を学ぶのも
その目的のひとつは
未来を予測し、制御、操作することだろう
 
狭い範囲なら、ある程度予測できるとは思うけれど
完全な長期的な予測は難しいと思っている
 
子供の頃、手塚治虫の漫画などを読み
憧れはしたが、携帯電話なんて言うものは
自分の生きているうちには実現するまいとおもっていた
 
だが今、ごく当たり前に使っている。
 
ヨーロッパの騎士たちは、その闘いの最中
将来、国民国家なるものができて、
徴兵された兵士が国家の為に戦うなんてことを予測しただろうか
 
2010年に生きていて、私は20年後の世界が予測できない
私自身のことに関してなら、実は明日のこともほんとは予測できない
ただ、今日とほぼ同じ日になるだろうと、根拠もなく信じているだけ
未来が予測できない時、たいていは不安を感じるだろう
 
予測していなかった事態が起こったとしても
それを「観る人」になれば、苦しみの第二の矢は受けない