記号論と写像論

 現在来院中のある年配の女性は、地元の小さな結社で、長年俳句を詠っています。 
 今日こう述べられました。「俳句とか短歌などをやっていない人と、同じ場所を旅し、同じように歩いても、感じ方、見え方が全然違う」と。

 文学と言えば、自ら実践しない人は、ある感動が先ずあり、それをことばに写すことと捉えがちです。そして、感動は、向こうから偶然あるいは必然にやってくると

 しかし、自ら実践する人は、「一見平凡な風景の中にも、感動を見出し表現することができる」というでしょう。

 例えば、トイレの窓辺に草花を飾っていて、枯れてしまい、一見ゴミと見える、その片づけ忘れた草花にも、感動を見出すのです。
 
 こういった記号論的な視点を、心理学的に、人間関係、人間観察に拡大することができます。諸先輩方はそれをうまくことわざで表現しています。曰く「あばたもえくぼ」「笑う門には福来る」

 そして文科系だけでなく、理科系の「観察の理論負荷性」と通じたりします。