「一切は無常である」と私たちは「ことば」にする。
確かに万物は流転し、諸行無常であろうが
「ことば」が無ければ、人間にとって無常もまたないのであろう。
「ことば」で認識し、記憶し、再生するがゆえの、「無常」。
快、不快は、人間が発声することば以前に、(ことば以前の快不快が)生理学的にあったのかもしれない
無常ということばを、国語の辞書的に知っていることと
無常を感じることは、別のことかもしれない
知っていることは、話したりおしゃべりしたりできるが
語ることができるのは、身を以って感じていることだろう
死にとうない、生きていたい
その思いが不安を生む
生きようとするのではなく
まして、生きようとしないのでもなく
いつくしむこと
なむあみだぶつ